瓶ビールに、焼き鳥盛り合わせと肉豆腐。しかも金曜の夜。お膳立ては万全なのに、酔える気がしなかった。
11月中旬の午後6時過ぎ。JR新橋駅の高架下にある居酒屋で、茶木哲(ちゃきさとし)さん(60)は、長男の桃二(ももじ)さん(27)とテラス席に座っていた。桃二さんがグラスにビールを注ぐ。
「おやじ、お疲れさまです」
「おお、ありがとう」
この日、哲さんは26年勤めたスポーツ新聞社で、定年式を迎えた。新型コロナで慰労会もない。そんな父を息子が誘い、ささやかな宴席を開いてくれた。
とはいえ、2人きりで飲むのは7年ぶりだった。いざ向き合うと、何から話せばいいか分からない。
「焼き鳥、レモンかけていいか」
「うん」
話が途切れては、キュウリにみそを付けたり、スマホをいじったり。沈黙をかき消す頭上のレール音を、このときほどありがたく感じたことはなかった。
思えば、目の前にいる息子のことを、よく知らないままだった。
会社では車の運転や管理の部署に勤め、帰るのはいつも夜10時過ぎ。毎週のように土日も仕事で、息子との会話は多くなかった。
小学1年生から野球を始めた息子は大学でひじを壊し、引退した。大学でも続けるよう勧めたのは自分だった。けがの後に「高校まででやりきったと思っていた」と聞かされた。息子の本音をわかっていなかったのか。後ろめたさを感じていた。
瓶ビールが3本空いた。自分は芋焼酎を頼み、息子はレモンサワー。アルコールの力を借りて、お互い、口がなめらかになってきた。高校生のころ、息子に彼女がいたなんて初めて知った。最近は在宅勤務が増え、同僚と話す機会が減ったらしい。そんな話が続いたあとだった。
「あのさ」
目線をグラスに置いたまま…
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