あの「健さん」を意識 佐藤浩市を導いた映画界の恩人は

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小峰健二
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 年齢を重ねるごとに、いぶし銀の芝居をみせる俳優の佐藤浩市は、今年が還暦で銀幕デビューを飾ってから40年がたつ。言葉の端々から伝わるのは、並々ならぬ映画愛だ。語ってくれたのは、これまでの映画人との出会い、これからの映画界への恩返しについて――。

お世話になった「岡田さん」

 東京・銀座の東映本社。取材場所の会議室に現れた佐藤は「岡田さんのことだけど……」と同社のスタッフに聞いていた。「岡田さん」とは、11月18日に急逝した俳優の先輩で、東映会長を務めた岡田裕介氏。佐藤は、写真や花が飾ってあるという会長室に向かい、別れのあいさつをしていた。

 「たいへん世話になったからね」。映画初出演作となった1981年の「青春の門」は東映の製作だ。今作でブルーリボン賞新人賞を受賞したことなどが、佐藤のその後のキャリアを決定づけた。

 以来、40年で100本以上の映画に出演。2度の日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受けるなど、誰もが認める名優となった。その現在の自分があるのは、周囲にいた映画人たちのおかげだ、と言い切る。

道しるべになった監督たち

 「僕は、いいタイミングで、いい人、いい作品に出会えたんだ。監督でいえば相米慎二阪本順治。いまの立ち位置から見渡してみると、仕事に行き詰まって辟易(へきえき)しているときに、次の5年、10年を乗り切るための『道しるべ』となる人や作品が現れてくれたのだと思う。そのおかげで、息長く続けられたのだろうね」

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 佐藤が全身で若さを体現する…

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