藤堂高虎の最古級の文書発見 朝鮮出兵や関ケ原生々しく

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佐々木洋輔
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 戦国武将で津藩の初代藩主、藤堂高虎に関する新たな一代記が、津市垂水の石水博物館で見つかった。高虎の死後、約10年後に書かれたもので、現存する高虎の伝記の中では最古の文書とみられる。

 博物館によると、新たに見つかったのは「藤堂家覚書」と題した古文書。この覚書は1641(寛永18)年7月3日、藤堂家に提出された1本の巻物で、長さ約8メートル。継ぎ紙で裏打ちもなく状態は良好で、作成当初の原形をとどめている。末尾に藤堂家の重臣ら8人の花押(サイン)があり、本物と確認したという。

 この年、3代将軍徳川家光の命により、全国の藩と旗本で家系図(寛永諸家系図伝)の編纂(へんさん)が始まった。各藩の徳川家への忠節の実績や、徳川家との関係の濃淡を「公式文書」として残すためだ。覚書は、津藩で作られた下書きだという。

 文字数は約7千字。当時の公式文書には珍しく、ひらがな交じりの口語体で記されている。高虎の死後、古参の家来らから聞き取って記したオーラルヒストリーとみられる。幕府から命令が下されたのがこの年の2月。急ピッチでまとめられたようだ。

 そこには、高虎が父とともに浅井長政に仕官し、織田信長徳川家康連合軍と戦った姉川合戦(1570年)から、江戸の上野東照宮の建立(1627年)まで、半世紀あまりの高虎の半生が記されている。

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 具体的には、長政の後に仕え…

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