「神の子」は庶民の味方だった マラドーナに魅せられて

有料記事

聞き手 編集委員・塩倉裕 聞き手・藤田さつき 聞き手・中島鉄郎
[PR]

 「天才」「スーパースター」、そして「神」や「神の子」――。60歳で亡くなったサッカー元アルゼンチン代表のディエゴ・マラドーナさんが、世界であがめられてきた理由とは。

水沼貴史さん(サッカー解説者)

 最も強烈に記憶に残っているのは、ももの太さです。今から約40年前の1979年、19歳の大学生だった僕は、初めてマラドーナを間近に見ました。FIFAワールドユース選手権が日本で開催された時のことです。

 ユース日本代表の1人として出場していた僕は、当時、人生で最も体格が大きくなっていました。「世界の強豪国と対等に戦えるようにならなければ」と、ユース代表チームはそれまで、2年近くにもわたる異例の強化訓練を重ねてきていたからです。

 でも大会の冒頭、各代表の選手たちを事前に集めた東京の会場で、僕の自負は打ち砕かれました。通路の出窓のへりにマラドーナが座っていて、短パンの先にももの筋肉が隆起しているのが見えたからです。僕と同じ60年生まれのサッカー選手なのに、持っているものが違う。そう感じました。日本は結局1次リーグで敗退し、彼と対戦する夢はかないませんでした。マラドーナはチームを優勝に導き、MVPになりました。

 86年ワールドカップでの有名な「5人抜き」はテレビで見ました。体をくるっと反転させるターンで2人を置き去りにすると、続けて1人、また1人とドリブルで抜いて進み、最後はキーパーまでかわしてゴールを奪った。強靱(きょうじん)な筋肉に支えられたスピードと技術はもちろんですが、判断力のすごさに僕は最も驚嘆させられました。

W杯メキシコ大会に「神」として降臨したマラドーナ。記事の後半では、ナポリ出身のパンツェッタ・ジローラモさんや、立教大学特任教授の陣野俊史さんが、マラドーナが愛された理由やテレビメディアとの関係について語ります。

ここから続き

 ボールを蹴る・止めるという…

この記事は有料記事です。残り2926文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【お得なキャンペーン中】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら