記録だけでない 福岡国際が世界陸上遺産になった秘密 

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酒瀬川亮介
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 今年で74回目を迎える福岡国際マラソン選手権大会が今年10月、世界陸上競技連盟(WA)から、陸上の“世界遺産”ともいえる「ヘリテージプラーク」として認定された。陸上競技の発展に貢献した功績をたたえるものだ。マラソン大会としてはボストンマラソンなどに続いて4件目。世界全体でも60件しかない世界遺産として、どんなところが高く評価されたのか。歴史を振り返ってみる。(酒瀬川亮介)

「選手権」の名前がつく唯一のマラソン

 福岡国際マラソンはその名の通り、日本のマラソンレースの国際化における先駆けとなった。戦後復興中の1954年、第8回大会でボストンマラソン優勝のヴェイッコ・カルボネン(フィンランド)ら5選手を海外から招いている。

 第20回を迎える66年、日本陸上競技連盟は当時の国際陸連(現世界陸連)に福岡を「世界マラソン選手権」として開催したいと提案した。ほかの種目との兼ね合いがあり、「世界選手権(World Championship)」という名称は許されなかったが、「国際選手権(International Championship)」という呼び名を認められた。マラソンレース単独の大会で「選手権」という呼称がつくのは、世界中で福岡国際だけだ。

世界初のサブテンはここで生まれた

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 翌67年の第21回でさっそ…

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