ニッポン写真遺産、100年前の飛騨の写真はどこ 岐阜

山下周平
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 約100年前、岐阜県飛驒地方で撮影された古写真約100枚が昨春、朝日新聞社の写真デジタル化サービス「ニッポン写真遺産」に持ち込まれた。そのうちの1枚の撮影地を探したところ、飛驒市中心部の気多(けた)若宮神社周辺を写した可能性が高いことがわかった。

 同市古川町で医師を務めた佐藤彰さん(1890~1974)は大正から昭和初期にかけて、少年相撲大会や水路で野菜を洗う「菜洗い」、雪かきなど飛驒人の営みを写真に収めた。

 遺品の1枚に、田んぼで稲の脱穀をする様子を写したものがある。

 並んで立つ女性はくし状の歯がついた千歯こきを使い籾(もみ)を落とし、横に立つ男性は弓なりの棒でたたいて、脱穀をしている。風の力で籾やわらのくずなどを分別する唐箕(とうみ)もある。機械化される前の農作業を写した貴重な記録だ。

 佐藤さんは埼玉県出身で東京帝国大学を卒業後、1919(大正8)年に高山赤十字病院の前身にあたる病院に赴任する。写真はこの当時撮影されたと思われるが、撮影場所は、写真の所有者で孫の大津陽子さん(73)=東京都在住=も分からないという。

 記者は、飛驒の歴史や地質に詳しい専門家に見てもらい、複数の候補地を挙げてもらった。地学の元教員で県博物館の館長も務めた下畑五夫さん(73)は田に水たまりがあることに着目。「稲刈り後なのに水がたまるということは湿田の可能性があり、飛驒市古川町の一部にみられる特徴」と分析した。

 飛驒高山まちの博物館(高山市)の牛丸岳彦館長(48)は、斜面のこんもりとした森に注目した。神社の可能性があり、なだらかな斜面にある飛驒市古川町の気多若宮神社を候補に挙げた。

 ユネスコ無形文化遺産に登録されている「古川祭」は同神社の例祭。記者が神社周辺を訪れると、なだらかな斜面には多くの住宅が立ち並んでいたが、水田も多く残っていた。

 山の稜線(りょうせん)には特徴的なとがった部分も確認できた。1948年に米軍が撮影した航空写真と照合したところ、神社から延びる階段そばに立つ茅葺(かやぶ)き屋根の住宅も確認できた。

 飛驒市歴史文化調査室の本永義博さん(70)は「佐藤さんの写真は風景の中に飛驒人の生活が写し込まれている。飛驒の暮らしに共感していたのではないか。教科書に載せても良い写真だ」と話した。(山下周平)

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 佐藤彰さんが残した古写真の一部を紹介する写真展「よみがえる100年前の飛驒」を13日から22日まで、高山市馬場町の高山市図書館(煥章館)で開催します。

 煥章学校であった少年相撲大会など大正期の飛驒の営みを写した写真パネル十数枚を展示するほか、当時の撮影場所を記者が訪ねた連載記事なども紹介します。

 入場無料。13日午後1時からは、高山市史編纂室の田中彰専門員と市図書館の西田純一館長、高山支局の山下周平記者によるトークイベントを開きます。申込制で定員25人。朝日新聞岐阜総局にファクス(058・262・6661)かEメール(gifu-mytown@asahi.comメールする)で申し込んでください。問い合わせは朝日新聞ニッポン写真遺産事務局(03・6868・8255、平日午前10時~午後5時)へ。

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 朝日カルチャーセンター名古屋教室は、朝日新聞社のアルバム・古写真のデジタル保存サービス「ニッポン写真遺産」で集まった数々の貴重な写真をもとに歴史的背景などをたどる「ニッポン写真遺産“発見伝”~明治・大正・昭和の世相をひもとく」を11日午後1時半から3時、名古屋市中区栄3丁目の同名古屋教室で開きます。

 13日から22日まで高山市図書館で開かれる「よみがえる100年前の飛驒」で展示する写真の説明もあります。講師はニッポン写真遺産の樋口慶編集長。受講料1700円。事前申し込み、問い合わせは(052・249・5553)へ。

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