「総理を落ち着かせてくれ」 現地本部長が見た福島第一

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聞き手・福地慶太郎
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 東京電力福島第一原発が地震と津波で電源を喪失した翌日、首相は突如、現地を訪れた。混乱を極める中、政府の現地対策本部長として、受け入れ側だった池田元久・元経済産業副大臣(79)は、当時の最高権力者の姿を「見苦しかった」と振り返る。

いけだ・もとひさ 1940年12月、神奈川県生まれ。64年、早大政治経済学部卒業、NHK入局。政治部記者などとして働き、90年、衆院選旧神奈川4区で初当選。2010年に発足した菅直人内閣で財務副大臣に就任し、同年9月から11年9月まで経済産業副大臣を務めた。震災直後は、政府の原子力災害現地対策本部長として、原発から約5キロの福島県大熊町にあったオフサイトセンターに入った。12年衆院選で落選し、政界を引退した。

 ――2011年3月11日、政府の現地対策本部長として、福島に向かいました。

 「あの日の夕方、東京・霞が関経産省を副大臣車で出発しました。ところが、道路が混んでいて進まない。それで、市谷の防衛省でヘリコプターに乗り、大滝根山(福島県川内村)にある自衛隊基地に降りました。そこから車で移動し、事故対応の拠点のオフサイトセンター(福島県大熊町)に着いたのは12日午前0時ごろでした」

 ――施設の状況は。

 「オフサイトセンターは停電していました。隣の県の施設は電気がついたので入ると、当時は副知事だった内堀君(雅雄・現知事)らがいました。当面の一番大きな問題は、(圧力が高まった格納容器の破裂を防ぐため、放射性物質を含む蒸気を外部に放出する)ベントを早くやることなんだという話をしました」

 「電源が復旧したので、(12日午前3時ごろに)オフサイトセンターに入ったら、菅直人首相(当時)が福島第一に来るという話を聞きました。しかし、当時は原発だけではなくて、津波などの影響で行方不明になった人が数多くいました。72時間以内の人命救助が重要と言われるのに、首相が原発に来るべきではないと思いました」

 ――政府の事故調査・検証委員会の資料によると、「どうしても来るならオフサイトセンターに来なさい」と旧原子力安全・保安院の幹部に言ったものの、指摘は保安院止まりで、官邸には伝わっていませんでした。

 「ただ、伝わっていたとしても、菅氏が福島第一の視察をやめることはなかったと思います」

「なぜベントをやらないんだ」と怒鳴り声

 ――12日朝、ヘリで訪れた首相を福島第一で迎えました。

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 「菅氏は免震重要棟に向かう…

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