(聞きたかったこと 広島)父を失い 広島に疎開

有料記事核といのちを考える

蜷川大介
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 神戸大空襲で家を焼かれた後に父を失い、疎開先の広島で被爆した16歳の少年がいた。大阪市東住吉区に住む島津光男さん(91)だ。「今も当時の光景は忘れない」と島津さんは言う。

 神戸市中心部にある二宮神社(現在の神戸市中央区二宮町)の近くで生まれた。両親は喫茶店を営んでいた。通りに面した木造2階建て自宅の1階にテーブルや椅子を置いて店にし、コーヒーやケーキを出していた。兄2人は徴兵などで不在だったが、太平洋戦争中も営業していた。

 1945年3月17日未明。空から焼夷(しょうい)弾が雨あられのように落ちてきた。神戸大空襲と呼ばれた日だ。島津さんがいた自宅2階の物干し台に焼夷弾が落ち、島津さんも1階へ落ちた。焼夷弾は不発だったが、向かいの家から火の手が上がった。1階にいた父母と二宮神社へ逃げた。家も家財道具もすべて焼けた。

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 体の弱かった父は、足を負傷…

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