雪の早明戦 ジャージーは母校へ「亡き先輩の名残す」 

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木村健一
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 日本ラグビー界で語り継がれる一戦がある。1987年12月6日、雪の残る国立競技場で早大と明大が戦った「雪の早明戦」。当時の早大の背番号11のジャージーは今、同大のスポーツミュージアムに飾られ、そばに貼られたプレートに寄贈者2人の名前が記されている。

 2人とジャージーを巡るエピソードがある。

 33年前の一戦で、両校の選手は雪と泥にまみれながら印象的な接戦を演じた。11番を背負ったのは当時1年生で後に日本代表となる今泉清さん(53)。決勝PGを決め、10―7で早大が勝った。

 臙脂(えんじ)と黒の横じまで「赤黒」と呼ばれる伝統のジャージーは2002年、早大ラグビー部の練習場が東京・東伏見から同・上井草へと移転する際のイベントで、オークションに出された。あの11番のジャージーを約5万円で落札したのが、当時35歳、半導体商社の社員だった開内(ひらきうち)毅寛さんだった。

 高校卒業後に2年浪人して早大に入り、ミニコミ誌を発行するサークル活動にのめり込んで3年留年した開内さん。幼い頃、早大ワンダーフォーゲル部OBの父にラグビー観戦に連れて行ってもらった。いつも臙脂や赤の服を着るほど早稲田ラグビーが好きになった。

 学生時代からお金に無頓着で、気前よく後輩におごってばかり。就職してからもそれは変わらず、落札したものの現金を持ち合わせていなかった。

 会場にいたサークルの後輩、社会人3年目だった堀杉浩史さん(43)に借りた。

 「ラグビーに連れて行ってくれて、試合後はいつもごちそうしてくれた先輩に頼まれては断れない。なけなしの金だったけれど、いつか返ってくると思って」

 堀杉さんは苦笑しながら振り返る。

 数年後、開内さんは「借金返済」を求められると「ごめん。今もお金がない。現物を預ける」とジャージーを譲った。

33年前、雪の残る国立競技場で永遠のライバル2校が戦った「雪の早明戦」。その試合の早大ラグビー部・背番号11が着た「伝統のジャージー」は、一度、オークションで手放されたが、いまは早大のスポーツミュージアムに戻り、展示されています。寄贈者たちが「赤黒」のジャージーに託した思いを追いかけます。

 開内さんは16年、食道がんが見つかって手術を受けた。17年に再発が分かり「あと1年持つかどうか」と診断された。

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 18年6月3日、早大職員と…

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