江戸時代は売買に「ほし殺し」…「乳」と「母」巡る歴史

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聞き手・田渕紫織
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 母乳か粉ミルクか――。赤ちゃんの育児で、多くの親たちの心をざわつかせる話題です。「自然vs.人工」として語られがちですが、母乳という言葉や感覚の歴史が浅いことを明らかにした研究者がいます。岡山大学大学院客員研究員で、『出産と身体の近世』などの著書がある歴史学者の沢山美果子さんに聞きました。

 ――母乳の歴史が浅い、というのはどういうことでしょう?

 江戸時代、母乳という言葉はありませんでした。「人乳(じんにゅう)」や「女の乳」と言いました。つまり誰の乳でもよくて、母親と乳が結びついていなかったんです。

 粉ミルクがなかった当時、赤ちゃんにとって乳は「命綱」ですから、農村部では母親の乳が出ない場合、出る人から「もらい乳」をすることが普通でした。一方、都市部では、もらい乳に謝金が要るようになっていき、乳は売買の対象となっていきました。

 ――母乳が売り買いされた?

 そうです。都市部では口入れ屋というあっせん業者が店を構えて、乳の出る女性をあっせんしていました。

 彼女たちは「乳持ち奉公人」と呼ばれました。自分の体から出る乳を元手に、一般の女性奉公人の3倍ぐらいの給金をもらっていました。

 ――お互い、割とウィンウィンの関係だったのでしょうか?

 そうとも言えません。乳持ち奉公は、自分が産んだ子どもを犠牲にしてなされる労働ですから、裏面には「ほし殺し」という闇もありました。

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 ――ほし殺し?…

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