被爆した母たちの物語 米国人の娘が伝える「最後の桜」

有料記事核といのちを考える

シャーロット=藤原学思
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 母は広島で被爆した。父は米国人で、自らも米国で生まれた。そんな女性が母の体験をもとに4年前に書き上げた小説が、国連軍縮局の推薦図書として読み継がれている。核兵器の保有や使用を禁じる核兵器禁止条約が来年1月に発効するのを前に、女性はいまも原爆と向き合い、続編の執筆に打ち込んでいる。

 「キノコ雲の下にいた人たちのことを、語ってくれない?」。米ノースカロライナ州シャーロットに住む米国籍のキャサリン・バーキンショーさん(51)は2010年、第2次世界大戦を学ぶ当時中学1年の娘に、原爆について同級生に語ってほしいと頼まれた。

 バーキンショーさんの母イシカワ・トシコさんは、12歳の時に広島で被爆した。1959年、米軍ジョンソン基地(現・航空自衛隊入間基地)に勤めていた父と26歳で結婚し、渡米。当時は偏見が残っており、「東京出身のベティー」と名乗った。被爆体験は話したがらなかった。

 米国で生まれ育ったバーキンショーさんも、母が広島出身と知ったのは11歳の時。8月になると悪夢にうなされる母が、「実は」と声を絞り出した。それでも詳細は語らず、娘の教室で自らが体験を代弁することを許すとは思えなかった。

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 だが、母は了解してくれた…

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