生きるための武器になる 穂村弘がたどりつく短歌の流儀

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文・佐々波幸子 写真・鬼室黎
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 終バスにふたりは眠る紫の〈降りますランプ〉に取り囲まれて

 肩を寄せ合う恋人たちの姿が目に浮かぶ、こんな短歌を収めた第1歌集『シンジケート』でデビューして30年。現代短歌を牽引(けんいん)する歌人となった穂村弘さん(58)は「短歌は生きるための武器になる」と話し、「どんどん作ってみてほしい」と呼びかけます。インタビューで、自らの歌づくりの流儀、そして歌を詠むことの魅力について、本音で語ってくれました。(文・佐々波幸子 写真・鬼室黎)

 ――短歌を作るには、強さより弱さのほうが大切だとおっしゃっていますね。

 小さな揺れに対応し、表現できるのが短歌という形式ですね。確信や主義信条よりも怯(おび)えや違和感が歌になる。実際の僕は中年の男性なんだけど、いまだに子どものような感覚がある。「ネクタイなんて、おかしいな。みんなが首に紐(ひも)をつけてるなんて」「お金が紙でできているって変じゃない? 燃やせばなくなってしまうのに」というような。一方で子どもであり続けるためにどうしたらいいか、学習している感覚もあるんです。

 〈校庭の地ならし用のローラーに座れば世界中が夕焼け〉という歌も、現実には世界中が夕焼けということはないけれど、子どもの感覚で詠んだ歌ですね。

 ――「メモ魔」だと聞いています。どのように短歌を作っているのですか。

 気になった言葉や事柄をメモしても、そのまま歌になるわけじゃない。料理に例えると、生野菜のサラダではなくて、野菜炒めやたくあんみたいに熱や発酵を加える必要があると思っているんです。素材を元には戻せない状態に変化させることが本質的な表現だと。ただ、「いい歌を作ろう」と思うと作れない。「何でもいい」と思って作り始めると、10首目ぐらいから少しましなゾーンに入ってくる。そのくり返しです。

歌にワンダーを

 ――歌を作るとき、何よりワンダー(驚き)を大事にしているそうですね。

 〈ひゃーびっくり!〉が好きなんです。思ってもみなかった切り口を提示したい。真のシンパシー(共感)はその先にあると考えています。

 短歌を作るとき現実の似姿になるのは嫌で、避けたい。言葉の側がもう一つの現実を拓(ひら)くような歌を目指してきました。

 2005年に母を亡くしたときに詠んだのは、次のような歌です。

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 髪の毛をととのえながら歩き…

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