第9回「大きなお星さま」、長男は見つけた 東京脱出した夜に

共生のSDGs コロナの先の2030

上田学 篠健一郎 合田禄
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 赤城山のふもと、群馬県桐生市黒保根町の水田に囲まれた平屋建ての新居に荷物を運び終えると、辺りは暗くなっていた。「大きなお星さまあるねぇ」。引っ越して初めての夜、山本祐司さん(36)は、自宅前で夜空を見上げた長男(2)のつぶやきに驚いた。それまでは東京都荒川区の駅前タワーマンションの27階に住んでいた。町の明かりが消えることはなく、長男が「星を見た」なんて語ったことはなかった。

 祐司さんは今年8月、一家で桐生市に移住した。都内のベンチャー企業に勤め、外国人向けの国内観光企画を担当。共働きの妻・未央さん(32)は都内のNPOで会計を担当する。新型コロナウイルスの感染拡大で4月に緊急事態宣言が出てから夫婦ともに在宅勤務となり、長男の保育園も休園になった。家族で自宅にこもる生活が続いた。

 夫婦は在宅仕事中、長男にタブレット端末を渡して遊ばせた。動画を見続ける長男を見て、未央さんは思った。「東京に住み続ける意味はあるのかしら」。2人で話し合い、東京脱出を決めた。未央さんは元々在宅勤務が多く、祐司さんも緊急事態宣言以来、テレワークになり、日帰りで東京に通えれば支障はなかった。

移住の決め手は子育て

 一方、暮らしは大きく変わった。

新型コロナの感染拡大でいま、「東京脱出」が増えています。地方都市での暮らしは家族にどんな変化をもたらすのか。山本さんのケースや調査データをもとに、魅力や課題を見つめます。詳しくは記事の後半で

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 東京のマンションは手狭な2LDKだったが、新居は3LDKだ。家賃は月額3万4千円で、東京時代よりも約10万円下がった。ただ、保育園の送り迎えや買い物で車が必須になり、2台購入した。祐司さんは月数回地方に出張するが、出社の必要はなく、テレワークを続けている。残業やつきあいで深夜に帰宅することはなくなり、ほぼ毎夕、家族で食卓を囲む。家族一緒の時間が増えた。

 祐司さんは「移住の決め手は子育て。息子は図鑑や動画でしか見たことがなかったトンボやカエルを追いかけ、家のまわりの田んぼで採れた新米のおにぎりをよく食べる」と語る。

 山本さん一家のような移住者を呼び込もうと、群馬県はテレワークで働ける環境づくりを後押しし、今年度から「リモート県」を名乗る。「東京から100キロ離れただけで、家賃は半分に、家の広さは倍に」がうたい文句だ。

 県の担当者は「移住を検討していても、子どもの教育環境への不安から二の足を踏んでいる人も多いので、『1年くらいかけてじっくり決めて』と助言している」と話す。

地方都市の「バケツの穴が閉じた」

 新型コロナの感染拡大は東京の一極集中に大きな変化をもたらしている。

 総務省住民基本台帳人口移動報告(外国人を除く)によると、東京都の転入者から転出者を引いた人数は、昨年4~9月はプラス3万1955人だったが、今年4~9月はマイナス603人に激減した。

 一方、東京に人口が流出していた地方都市のほとんどで、コロナ禍以降、転入者から転出者を引いた人数は昨年比で大幅増となった。群馬県は昨年4~9月はマイナス1576人だったが、今年4~9月はマイナス100人に。同じ期間に茨城県ではマイナス1470人からプラス236人、栃木県ではマイナス720人からプラス59人と、転入者の方が多くなった。北海道や長野県滋賀県などでも転入者の人数が転出者を逆転している。

 転入者から転出者を引いた人数は、「ここに住みたい」と人を引きつける力の指標だ。プラスだと人口が増え、マイナスだと転居によって人口が減っていることを示す。

 地域政策に詳しいみずほ総合研究所の岡田豊主任研究員は「東京の新型コロナ感染者が全国最多であることが影響している。地方都市は周辺から住民が集まるものの、それより多くの人が東京に出る『破れたバケツ』だったが、コロナ禍で穴は閉じた」と指摘する。

 その上で「地方都市にとっては、今は住民を増やす千載一遇の好機だ。コロナ禍が落ち着けば再び東京に向かう動きが出る。新たに増えた住民を定着させるため、地方都市は教育や医療の充実、給与水準の引き上げに取り組まなければならない」と語った。(上田学、篠健一郎、合田禄)

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連載共生のSDGs コロナの先の2030(全16回)

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