原発事故、同じ思いさせたくない 福島からの避難者

川野由起 志村英司 徳島慎也
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 東京電力福島第一原発の事故で、故郷の福島を離れ宮城に住まいを構えた人たちは、東北電力女川原発の再稼働に向けた動きを、複雑な思いで見つめている。

 斉藤広江さん(69)は昨春、福島県南相馬市の自宅を売り、息子の仕事の関係で岩沼市に自宅を新築した。8カ月間の「地元同意」の手続きについて、「本当にあっという間。福島の隣県とはいえ、再稼働反対の声がそれほど上がらなかったのは、原発事故の恐ろしさを分からないからなのか」と首をかしげる。

 娘が東北大病院(仙台市)で孫を出産したのは、1号機が水素爆発した3日後。山形や新潟、福島県会津若松市など約10カ所を転々とし、「原発さえなければ、こんな生活しなくて済んだのに」と娘と慰め合った。3年半後に南相馬市の自宅に戻ったが、放射能への不安がぬぐえなかった。

 最近、福島の親族や知人の葬儀に参列すると、「原発事故さえなければ、今ごろは……」という話になり、「女川は再稼働するのか」も話題にのぼるという。地元同意を伝えるニュースを見て、新潟や長野の親族らに「もし事故が起きたら、家族でお世話になります」と電話した。避難ルートも改めて確かめた。

 一方で再稼働による経済の活性化を願う地元の商工業者の立場も理解できるという。斉藤さんも以前は従業員約100人の建設会社を営んでいた。「女川原発に勤める人たちの生活も大事。震災で事業者も大変だと思うので、反対と大きな声では言えない」と話す。

 事故で全町避難を強いられた福島県双葉町から宮城県名取市に移った男性(71)は、「住民をないがしろにする再稼働には反対だ」と言い切る。ひとたび事故が起きれば、安全に避難できるのか疑問に思う。

 原発事故で、男性は家族と車で避難した。幹線道路は地震で寸断され、山側へ抜ける道路は大渋滞。「一時的に逃げるだけ」と思っていた母は、故郷を二度と見ることはなく仙台で亡くなった。92歳だった。

 「事故後にいくら補償されても棺に札束は入れられない。他の人に同じ思いをさせたくない」と男性。原発事故が起きるまで「世界一の東電」で事故が起きるわけがないと思っていた。だから、「巨大津波の予測はできなかった」という国や東電の説明は納得できない。「国とは、国民の安全を守るためにあるのではないか。国は原発事故の責任を取ろうとせず、また原発を推し進めるのか」と、批判する。

 仙台市太白区の30代の女性は「原発事故から10年も経っていないのに、再稼働という流れになって、ただただ残念。事故が起きれば、自分と同じ状況になる人が出るのは、本当にかわいそう」と心境を語る。

 原発事故で全町避難を強いられた福島県浪江町の出身。当時は、3月12日朝に避難を呼びかける放送が流れ、両親と妹の家族4人で車で避難した。ラジオのニュースで初めて事故が起きたと分かった。

 半年後に交際中だった今の夫のいる仙台に引っ越した。3人の子どもに恵まれた。両親は福島県外に引っ越して住んでいる。「両親の所に行っても実家ではない。帰省するという感覚は無い。誰かのうちにいるようだ」と話す。

 事故当時、父親は原発の下請け会社に勤め、地域にも東電関係の社員が少なくなかった。「地震が起きて原発で何かあったら終わりだね、と冗談で言っていたが、知らないことは怖いことだ。自分が被害を受けないと、自分のこととして感じられない」と振り返る。

 女性は原発事故からの約10年を振り返り、こういう。「どう対策をしても福島と同じことが起きる可能性はある。そうなった時の代償が、あまりにも大きすぎる。女川は再稼働をしてほしくない」(川野由起、志村英司、徳島慎也)

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