フランスの博士の気まずい宮崎駿論(小原篤のアニマゲ丼)

有料記事小原篤のアニマゲ丼

[PR]

 高畑勲宮崎駿論で博士号を取り仏の大学や学校で教員を務めるアニメ映画研究者ステファヌ・ルルーさん著「シネアスト宮崎駿 奇異なもののポエジー」が先月みすず書房から刊行され、期待して読んだのですが、スーザン・ネイピアさん著「ミヤザキワールド 宮崎駿の闇と光」(昨年12月2日の本欄「『宮崎駿の闇と光』という愛情に満ちた本」参照)に続いてアレやコレやとツッコミどころの多い本でした。

 着眼点はいいんです。目をひくビジュアルや深遠なテーマについて語られることが多い宮崎さんの「シネアスト」(訳すなら「映画演出家」?)の側面、すなわち「編集・カメラワーク・フレーミング・構図・音声と画面の関係など」(訳者・岡村民夫さんによる「あとがき」から)を分析。「彼の芸術の本質」は「想像的なものと高畑のそばで練りあげられた映画的リアリズムとの思いがけない出会い」であり、「そこに特異で奇異なポエジー、ある種の『驚異における自然なもの』の表現が現出する」(本文16ページ)。

 「リアリズムと驚異を混ぜあわせる個人的なポエジー」(61ページ)とも書いていますが、私流に砕いて言うと、「あり得ないことを本当らしく見せるマジック」、逆の言い方なら「現実味を帯びていたところに非現実をぶっ込む荒技」でしょうか。

 ルルーさんは「塔の頂に囚(とら)われているラナを救出しようとするコナン」(未来少年コナン)や「城の壁を苦労してよじのぼるルパン」(ルパン三世 カリオストロの城)を挙げ、「人物がほんとうに落ちそうになる挿話を通して空間の実在感を捉えることから始め」「ついにはほんとうに度はずれな軽業にいたる」(55ページ)と書きます。

 「なーんだ、『前略 宮崎駿様』か」と思った方は多いでしょう。1984年刊アニメージュ文庫「風の谷のナウシカ 絵コンテ2」巻末の、押井守さんによる有名な宮崎批判です。ラナを抱えて塔から飛び降りたコナンのシーンを引き、リアリズムで演出しておいて土壇場でデタラメな「漫画映画」に持ち込む宮崎さんのやり方は「劇(ドラマ)」を遠ざけ「映画としての訴求力」を失わせるものだ、と指摘します。いくら本当らしく見せても度の過ぎたウソは興ざめだよ、ってことですね。

ここから続き

 これに対抗する形になってい…

この記事は有料記事です。残り3251文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【お得なキャンペーン中】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら