落語と寄席と立川談志 初の内弟子、談幸と一問一答詳報

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聞き手・井上秀樹
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 落語界の風雲児、立川談志が世を去って21日で丸9年。家元として立ち上げた落語立川流は寄席に出演せず、一門は寄席に頼らない活動を続けている。一方で最初の内弟子となった立川談幸は落語芸術協会に入り、いま寄席で軽やかな高座を勤めている。落語と寄席と師匠と。たっぷりと、はなしを聞いた。

 ――亡くなったとき、すぐには弟子に知らされませんでしたね。

 僕らの世界は、子弟っていうのは親子関係だっていう意識をみんな持ってた。それが、知らされなかったことで、みんなある種の寂寥感(せきりょうかん)みたいのがあったかもしれない。けど師匠は、それまで家庭を顧みず落語に没頭する時間が欲しかったけれど、患って、ようやく立川談志から松岡克由に戻って、家族と過ごす時間がもてたんだなあと思いましたね。

 ――美学、ダンディズムで、最期を見せたくなかったのでしょうか。

 「何かあったら、葬式はやんなくていい。お別れの会ぐらいはやってもらいたいな」とは言ってました。その通りになりましたけど。でもね、師匠は自分が言ってきたことに反することは嫌だから、自分を見せたい気持ちはあったかもしれないですね。こんななった自分を見てもらいたい、さらしたい。僕らは、亡くなった年の8月に会ったのが最後なんですけども、そのときだってほとんど一人で歩けないぐらいですからね。でも師匠は見せたい。「ある種の業だ」っていうようなことを言ってた。

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 ――その後、ご自身は立川流…

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