泣き虫マッチ棒がNBA選手になるまで 渡辺雄太の挑戦

有料記事

松本麻美
[PR]

 「好きこそ物の上手なれ」ということわざがある。好きであってこそ、熱心に努力するから上達する――という意味だ。渡辺雄太(26)のバスケットボール人生を表すのに、これ以上ぴったりの言葉はないだろう。泣き虫でガリガリにやせた「マッチ棒」が、最高峰のNBAのプレーヤーに。決して順風とはいえない半生が、彼をドラマチックに飛躍させた。

 バスケットボールの本場・米国を中心に、世界中のトップ選手が集うNBA。渡辺雄太(26)は2018年10月、子どもの頃から憧れ続けたその夢舞台に、グリズリーズの一員として立った。サンズで出場した田臥勇太(40)以来、日本選手として2人目。実に14年ぶりの快挙だった。

天才でなくとも

 いま、NBAと聞いて多くの人が思い浮かべるのは、渡辺より1年遅れてデビューしたウィザーズの八村塁(22)だろう。日本選手初のドラフト1巡目指名を受け、ルーキーながら主力級の活躍。規格外な後輩と比べられることも多いが、渡辺は「僕と彼は違う。僕は決して天才じゃないし、スターじゃない。それでも夢はかなえることができる」と語る。

 いまでこそ206センチと高身長だが、中学入学時は160センチ。そこから1年に10センチのペースで伸び続け、中学3年間はいわゆる「成長痛」に悩まされることに。痛みもあって瞬発力が求められる動きは苦手意識がつきまとった。中学2年時に地元・香川の県選抜に選ばれても「守備ができないから」との理由で、ベンチを温め続けた。父・英幸さん(62)は「いまは我慢だ、と声をかけ続けたが、練習も思うようにできず、悔しそうだった」。

 そんな「無名」の渡辺が躍進…

この記事は有料記事です。残り2589文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【お得なキャンペーン中】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら

1990s - 2023 JAPAN BASKETBALL

1990s - 2023 JAPAN BASKETBALL

1990年代のバスケブームから現在へ。これは、日本バスケのパイオニアたちが積み上げてきた物語。[もっと見る]