演劇人、三島由紀夫 17歳の劇団員が見つめていた実像

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聞き手・井上秀樹
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 日本を代表する劇作家でもある三島由紀夫は、夢だったという劇団を「浪曼劇場」で実現した。研究生として所属した俳優の中村まり子が、25日の憂国忌を前に振り返った。

 ――入団のいきさつを。

 1969年に、高校入学と同時に入って。あれ、「ローマンげきじょう」って読むんです。三島先生がつけたの。私、父親(中村伸郎)が元々文学座の人で、私が生まれたときから新劇女優にしようと決めてたんですって。それで、喜んで子役に提供したんですよ、文学座の舞台に。

 文学座は大量脱退と分裂をしまして、父親は三島さんを尊敬していて、三島さんと行動を共にして。私は高校になったときに「お前もう学校どうでもいいから劇団入れ」って言われて。

 ――劇団はどんな雰囲気でしたか。

 和気あいあいでした。一般の劇団って、みんなが話し合ってシェークスピアも日本の芝居もやるでしょ。浪曼劇場は三島先生の書き下ろし芝居か、潤色したフランス戯曲。ロマン派の芝居ですね。ヴィクトル・ユゴーとかジャン・コクトーの翻訳を全部三島さんが自分の言葉にして。だから他の劇団と体質的に全然違う。全員が三島さんのことを非常に崇拝してた。

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 ――何にひかれて参加したの…

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