普賢岳噴火、克明な日記 元市職員が30年経て出版へ

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小川直樹
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 長崎県の雲仙・普賢岳が198年ぶりに噴火した日から17日で30年。地元の島原市職員として災害対応にあたった内嶋善之助さん(67)が、当時を克明に記録した日記の出版をめざしている。記憶を風化させてはいけない――。14日、朗読会で一部を披露した。

 《誰も慌てている風には見えない。(私は噴煙の)スケッチをする。ゆっくりと昼食をとる》

 島原市街の公民館。内嶋さんは集まった約50人を前に、日記から出版用に書き起こした初稿を読み上げた。噴火が始まった1990年11月17日の記述だ。

 市役所内は緊張に包まれたが、内嶋さんが噴煙を見に展望台へ行くと、まちでは穏やかな日常がまだ続いていた。しかし、やがて火砕流土石流がふもとを何度も襲い、住民の日常は長く奪われることになる。

 戯曲などの創作者でもある内嶋さんはペンを執り、見聞きしたことをノートにびっしり書き込んだ。書き込みは92年春まで続き、ノート数冊分に及んだ。職員として被災者支援に奔走する一方、噴火に直面する人々の営みを創作舞台や戯曲、詩に著してきた。

 噴火から30年の節目を前に、内嶋さんは日記を読み直して驚いた。「記憶以上に当時の空気感のようなものが細かく描かれていた」

 改めてまとめ直すのではなく、日記のまま伝えることが記憶の継承になると考え、今春から原稿化に着手。噴火にまつわる印象深い記述を抜き出して必要な解説を加え、朗読会を前に「普賢岳diary」の初稿をまとめた。

 A5判で176ページある初稿で、筆致の緊張感が高まるのは最初の土石流が発生した91年5月15日だ。

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 《避難者が150名ほど集ま…

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