日本海側は表玄関 いにしえの先進技術行き交う大動脈

有料記事日本海 いにしえの交流史

渡義人 編集委員・中村俊介
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 水平線のかなたに大陸を望む日本海は、先史時代から文化をはぐくむ母なる海であり、先進技術が行き交う大動脈だった。最近、その証拠が次々と現れつつある。環日本海に刻まれた交流史の軌跡をたどって船出しよう。

 対馬海流が洗う日本海側は、南北に長い日本列島の半身といえる。日本地図の天地をひっくり返してみよう。ふだんみている地図とはイメージが一変するはずだ。日本海を360度、ぐるりと陸地が取り巻き、その沿岸伝いに、あるいはただ中を横切って無数の航跡が浮かびあがってこないか。

 船が輸送手段の主役だったころ、日本海は文化の伝播路(でんぱろ)であり、交易の表舞台だった。紀元前にさかのぼる弥生時代も、またしかり。日本海側に点在したラグーン(潟湖(せきこ))という天然の良港と、近くにできた集落を拠点に、人々は船を自在に操った。

 山陰や北陸から、東北や北部九州、さらには海外へと、海の道が結んだ地域間交流の実態が、最近明らかになり始めている。

「ヒスイ・ブランド」

 代表的な交易品がヒスイだ。緑色に輝くこの貴石を、人々はアクセサリーに加工した。産地は新潟県糸魚川市周辺の姫川や青海川の流域に限られ、「ヒスイ海岸」(富山県朝日町)に打ち上げられた原石は海路、全国へ運ばれた。

 富山大の高橋浩二教授によると、北は北海道から南は沖縄まで、1千カ所以上でヒスイが見つかっているという。「産地から遠く離れた場所ほど希少性が増し、人々はその魅力に取りつかれたのでしょう」

 海外にも運ばれた。朝鮮半島での出土はもちろん、中国の史書「魏志倭人伝」に登場する邪馬台国の壱与(いよ)(台与(とよ))が中国王朝に贈った2個の勾玉(まがたま)はヒスイだったともいう。まさに“日本海ブランド”だったのだ。

いち早い鉄の普及

 では、ヒスイは何と交換されたのか。有力候補が鉄だ。弥生時代の鉄器は海外からの輸入素材を加工したもので、鉄器文化流入の玄関口となった北部九州からゆっくり東へ普及したと考えられてきた。

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 ところが2017年、北陸地…

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