萩、なでしこ、女郎花 水城のそばで育つ万葉集の草花

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岩田誠司
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 萩(はぎ)の花尾花(をばな)葛花なでしこの花女郎花(をみなへし)また藤袴(ふぢはかま)朝顔の花――。万葉歌人・山上憶良(やまのうえのおくら)が指折り数えて歌に詠んだ、秋の野に咲く七種の花。万葉集に収められたそんな草花を育てて20年になる花壇が福岡県大野城市にある。かつての「西の都」大宰府を中心とした郷土の歴史を見つめ直す中で生まれ、愛されてきた。

 太宰府市に隣接する大野城市の住宅地の一角。唐や新羅の大宰府への侵攻を防ぐために大和政権が664年に築いたという長大な堤「水城(みずき)」が残る。水城の西門があったと伝わる場所の近くにその花壇はある。

 朝夕の空気がひんやりとし始めた10月半ば、赤紫色の萩の花や白い藤袴、薄紅色の蓼(たで)が風にそよいでいた。みな万葉集に詠まれた植物だ。足元の木製板には「あさがほ(ききょう)」「いちし(ひがんばな)」と、万葉集に登場する植物の名を詠まれたとおりにひらがなで書き、現代語名を括弧内に併記してある。

 この日、花の周りでは、楽しげな笑い声が響いていた。毎月第2水曜は花壇の手入れの日。近くの住人ら男女6人で草を取る手を動かしながら話は弾む。「藤袴もあちこちに飛んで育つから、なかなか思うような花壇にならんね」「やけんおもしろい。自然の中にあるから万葉植物っていいのよ」。持ち寄った菓子とお茶での休憩も挟みながら、薬草になる植物の見分け方や草木染での使い方、終活まで話題は尽きない。

 活動のきっかけは1998年、水城近くに高層マンションの建設計画が持ち上がったことだった。

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 「それまで水城が何かも知ら…

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