戦時中でも「腹いっぱい」 ダムに沈んだ村の記憶を出版

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編集委員・伊藤智章
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 ダム建設で1987(昭和62)年に廃村になった岐阜県徳山村(現・揖斐川町)を舞台にした本の出版が相次ぐ。元村民の児童文学作家、近くの町に住む写真家がそれぞれ出版した。2人には、徳山ダム計画に翻弄(ほんろう)される村民の姿を追った映画「ふるさと」(83年)という共通点もある。

 同県池田町の写真家・大西暢夫さん(52)が4月、「ホハレ峠―ダムに沈んだ徳山村 百年の軌跡」(全269ページ)を出版した。

 高校卒業まで近くの池田町で育った。容量日本一のダムが同じ揖斐郡に出来ると聞き、最初は誇らしかった。でも中学生で映画「ふるさと」を学校で見て泣き、犠牲になる人たちのことを考えるようになった。

 91年、ダムに沈む風景を撮ろうと現地を訪ね、旧村民に出会った。約1500人いた旧村民の大半は転出していたが、工事の遅れなどで数世帯が残っていた。電気もガスも水道もない小屋に住み、河原の露天ぶろに入るおばあさん、生きたマムシを手で裂いて胆をのむおじいさん。山の実を採り、小さな畑を耕し、自給自足する人たちに魅了され、当時住んでいた東京から500キロをオートバイで駆けつけ、発表のあてのない写真を撮り始めた。

 今回の本は、05年に最後に山を出た廣瀬ゆきえさん(13年、93歳で死去)の生涯をたどる。戦前、本校の小学校運動会に出るのも泊まりがけだった厳しい生活、村出身者が開いた北海道の開拓村2世との結婚、帰村、子どもの学資のための出稼ぎ、そして先祖伝来の家も山もカネに替えてしまったダム計画……。足取りを追って北海道も訪ね、満州やパラグアイへの移民まで考えていたこと、本家を継ぐため安定した暮らしを捨てて帰郷したことを知り、土地や家系への強いこだわりを実感した。

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 「でもそれが全部、ダムで捨…

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