バイクや工事の音に「また爆発」 おびえるレバノンの街
中東レバノンの首都ベイルートで8月に起きた大爆発の現場には、現在も被害の爪痕が生々しく残っていた。今月中旬、記者が現地に入ると、コロナ禍と重なり、爆発の大きな余波で苦しむ約20万人のシリア難民たちの姿があった。
爆発のあった倉庫は跡形もなく、そばの穀物庫は崩れかかった巨大な壁だけが残っている。市街地に目を向けると、いくつものビルが骨組みをむき出しにしていた。ガードレールはねじ曲がり、折れた電柱には爆発で亡くなった消防士の写真が掲げられていた。
爆発が起きたのは8月4日夕。港の倉庫内に6年前から保管されていた硝酸アンモニウム2750トンが爆発した。死者は190人を超え、負傷者は6千人以上。爆風の影響は半径3キロに及び、約30万人が住まいを失った。
「底辺のさらに下」 シリア難民の苦境
現場から約1キロ離れた住宅街で、ハラス・ファラージさん(50)の一家に出会った。8年前、内戦が激化していたシリアの北部ラッカから逃れてきた難民だ。
崩れかかった建物の8畳ほどの部屋に家族7人で暮らす。あの日、車庫にいたファラージさんは爆風に体ごと吹き飛ばされ頭を強打。家族は全員部屋にいて無事だった。
近隣住民の多くは立ち去り、周囲の建物は崩れ落ちたままだ。レバノン政府からの支援はなく、市民団体からの物資も途絶えつつある。次女アリーンちゃん(5)はバイクや工事の音を聞くと、「また爆発する。逃げようよ」とおびえる毎日だ。だが一家に行くあてはない。故郷のラッカは過激派組織「イスラム国」(IS)の「首都」とも呼ばれた街で、自宅は破壊されたという。
子どもたちはベイルートの学校に通えず、医療保険にも入れない。ビル管理人として月40万レバノンポンド(約2万7千円)の収入があるが、経済危機とコロナ禍によるインフレで価値は1年で5分の1に下落した。
終わりが見えない難民生活に爆発の影響がのしかかる。「多くのレバノン人も支援を求める中で、私たち難民がいるのは底辺のさらに下。わずかな希望もなくなった」(ベイルート=高野遼)
「血だらけの光景、頭を離れない」
街中には壊れたままの建物が…
【お得なキャンペーン中】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら