葬儀に駆けつけた13台のNSX 妻に残した愛車と道標

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若松真平
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 2005年5月、愛知県春日井市で木工会社を経営していた山田尚さんは、胃がんと宣告された。

 当時48歳。3カ月後に手術を受けて、胃の3分の2を摘出した。

 このころから、妻の早苗さん(55)に対して、「僕には時間がない」と言うようになった。

 車好きな尚さんだったが、父から「いい車に乗ってたら得意先から何を言われるかわからんぞ」と言われ、控えめな車種を選んで乗っていた。

 買うなら今しかないと、発売直後から憧れていたホンダ「NSX」の中古を500万円で買った。

 事前に相談を受けていた早苗さんは、自分でためていたお金で買うのだから口出しはしませんよ、と伝えていた。

1991年式の黒いNSX

 NSXの中でも人気の赤いボディーを探したが条件が合わず、1991年式の黒を選んだ。

 早苗さんの第一印象は「ゴキブリみたい」。低い車高で平べったく、黒光りしている車を見て、そう思った。

 助手席に乗って走り出すと、地面すれすれのような低い目線と、スピードにのった時の風を切る感覚が気持ちよかった。

 ある日、信号待ちで隣に真っ赤なNSXが止まったことがあった。

 見ず知らずだったが、互いに手を挙げて会釈し、それぞれ別れて走っていった。

 これがきっかけとなって、NSXオーナーの集まりに興味を持った。

 2008年、愛知県蒲郡市であったイベントに参加すると、あの時の赤い車が止まっていた。

 その場にいたメンバーを中心に、NSXオーナーズクラブ「weisse(ヴァイス)」が立ち上がり、一員になった。

がんが転移

 2011年1月、がんが転移していることがわかった。

 治療を続けながら、年5回のツーリングと毎月のミーティングに参加した。

ここから続き

 最後となったのが、2013年3月9日のミーティングだった。

 毎回紅茶が配られていたが、この日は尚さんの大好きなコーヒーもあった。それでも尚さんは紅茶を選んだ。

 「これが最後だから、いつも通りの紅茶で」と思っていたのかもしれない。

 早苗さんに対して痛い、苦しい、といった泣き言は一切言わなかったが、親しいメンバーには弱音を吐いていた。

 自分に代わって木工会社で2人分の働きをしている妻に、心配をかけたくないと思っていたようだ。

 約1カ月後の4月7日、夫婦ふたりきりの病室で、尚さんが「死んでもいい?」と聞いてきた。

 早苗さんは「やることやって…

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