「生きててよかった」核禁条約、喜びの分だけ怒る被爆地

有料記事核といのちを考える

米田悠一郎 弓長理佳 横山輝
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 生きていてよかった――。核兵器そのものを不法とする核兵器禁止条約の来年1月の発効が決まり、被爆地・長崎から歓迎の声が上がった。喜びの分だけ、核保有国と非保有国の「橋渡し役」を主張しながら条約に参加しない日本政府への怒りも噴き出した。

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 長崎市松山町平和祈念像前には25日午後、50カ国批准を祝おうと、約200人が集った。核禁条約を求め「ヒバクシャ国際署名」の活動を展開した「県民の会」が呼びかけたものだ。

 秋晴れのもと、マイクを握った「県民の会」共同代表で長崎原爆被災者協議会の田中重光会長(79)は「被爆者は『生きていてよかった』と喜びを分かち合う日を迎えた」と喜んだ。あいさつの途中では、会場から拍手がわき起こった。

 米国の「核の傘」に頼り、核禁条約批准に後ろ向きな日本政府に対しては「全面禁止の先頭に立つべき」と語気を強め、政策転換を求めた。

 核廃絶や平和を願う署名活動をしている「高校生平和大使」の1人、活水高3年の西村優香さん(18)も集会に参加した。西村さんは取材に「達成に刺激をもらった。今後も1人でも多く署名を集め、核廃絶の機運を高めたい」と決意を新たにした。

 集会を知って駆けつけた長与町の会社員、箕田洋己(ひろみ)さん(64)は被爆2世。小学校教諭を務めた41年間、教え子らに被爆の悲惨さを伝えてきた一方で、日本政府に被爆地の思いが届かないことにいらだちを抱えてきた。「政府は50カ国の批准達成を無視しないでほしい」と話した。(米田悠一郎)

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