上司から罵声浴び続けた夫 自殺前に妻に明かした真実

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出河雅彦
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 愛知県内の大手メーカーの社員だった男性は、入社20年目で40歳だった2010年1月、妻(49)と娘(19)を残して自ら命を絶った。うつ病と診断された翌月のことだった。仕事や上司のパワーハラスメントによるストレスが原因と考える妻は労災を請求したが認められず、一審で訴えを棄却されたがいまも裁判を続けている。

優しく穏やかだった夫

 男性は愛知県外の工業高等専門学校を卒業後、1990年4月に就職した。99年に結婚し、2001年に一人娘を授かった。当時は残業のため、帰宅するのは娘が寝た後の夜の10時、11時になることが当たり前だったが、週末や休暇には面倒な顔ひとつせずに娘の相手をした。娘が幼稚園に入ると、カメラやビデオを持って運動会や父親参観に進んで参加した。

 学生時代に陸上部に所属し、フルマラソンを完走したこともある。野球やスキー、テニスなどのスポーツが好きだった。親子3人でキャンプやドライブ、旅行、スポーツ観戦を楽しんだ。

 地域の活動にも前向きだった。08年度に自治会で広報を担当した時は運動会や盆踊りなどの行事の写真を撮り、パソコンを使って広報誌をつくった。

 男性の仕事は会社が製造販売する商品の部品の生産準備だった。部品を生産する設備の製作メーカーや自社工場と打ち合わせをし、決まった設備を工場に設置して量産できるようにするのが役割だ。

 仕事の中身や会社でのできごとを家で詳しく語ることはなかったが、「会社の方針と工場の意見との板挟みで大変だ。予算も決められていて厳しい仕事だ」とよく話していた。

 妻の目に映る夫は優しく、穏やかな性格だった。人に対して威張ることや傲慢(ごうまん)な態度を嫌い、「自分の周りには下請け会社に無理な依頼をしたり、高圧的な態度をとったりする人がいるけれど、自分はそんな人間になりたくない」と妻に語っていた。

 男性は毎朝7時ごろ、愛車であるミニバンのエスティマの窓を開け、「行ってきます」と言いながら妻子に手を振って出勤した。妻は男性が家族の大切さを感じながら毎日明るく生活していると思っていた。

うつ病と診断 妻に「仕事を辞めたい」

 男性は08年4月ごろから、愛知県三好町(現・みよし市)の工場の生産ラインの立ち上げを担当した。08年12月に始まった試験運転では、工程ごとに決められた作業時間を上回るなど、なかなか目標に達しなかった。

 男性の当時の部下で、男性の死後、上司のパワーハラスメントが嫌になって退職したという男性(39)によると、このころから、男性は所属グループの長から1週間に1回程度、大声で叱られるようになった。その上司の室長から叱責(しっせき)されることもあった。広いフロアで、周囲には多くの同僚がいた。元部下は「あれだけ言われているのによく耐えているな」と思ったことを記憶している。

 生産ラインは順調に動かず、09年4月の量産開始後も設備の停止が起きた。リーマン・ショックで大幅な赤字に転落した会社は経費節減のため、6月以降、残業が原則禁止に。5月ごろから男性は通常業務に加え、仕事の将来ビジョンを検討するチームの取りまとめ役も任された。働く時間が限られる中、仕事の量は減らず、妻に「大変だ」とこぼした。

 その年の9月下旬ごろ、男性の様子が変わり始めた。好きだった自転車に乗ったり外食に出かけたりすることがなくなり、スポーツジムを退会。「いつも仕事のことが忘れられない」「深い眠りにつけなくて朝早く目覚めてしまう」と言った。「食欲がない」と朝食はコーヒーとパンだけになった。

 心配した妻の強いすすめで…

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