《商都の基盤を築き、「大阪の父」と呼ばれた関一(はじめ)・大阪市長も、88年前に「大阪都」の実現を唱えたことがあります。今回の都構想とどう違うのでしょうか》
戦前の府県は知事を国が選ぶ地方団体で、大都市はその府県からの独立を求めて特別市制や都制を主張しました。東京市が周辺82町村との合併で1932年に「大東京」になったときも、都制の導入が取りざたされました。それまで東京より人口が多かった「大大阪」の市長だった関は、「当然大阪も」と、「大阪都制案」を市役所に作らせたのでしょう。
結局、旧内務省は東京の都制を先行させましたが、戦局が悪化した43年に発足した東京都は、国家の統制が極めて強い、中央集権体制の装置でした。
現在の「大阪都」構想は、大阪市を四つの特別区に分割し、大阪府という大きな「器」に吸収するものです。これは関が構想した「都」制案とは、名は同じでも方向が正反対です。
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都市には個性があり「格」が…
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