「義の武将」めっきはがれた?上杉謙信、寺社を焼き打ち

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編集委員・宮代栄一
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 神仏をあつく敬い、大義名分のない私利私欲の戦いは行わなかったとされ、戦国武将上杉謙信(1530~78)は「義の武将」などと呼ばれる。歴史ドラマなどで個性的な役柄として演じられることから、戦国武将の人気ランキングでは常に上位をキープする。ところが、最近の歴史研究によって、そのイメージは大きく修正を迫られている。

 先月出版された『謙信襲来』(能登印刷出版部)は、越後を本拠とする謙信に侵攻された北陸側の視点から謙信の実像をとらえる。著者の萩原大輔・富山市郷土博物館主査学芸員が、越中・能登・加賀の3カ国について、謙信が焼き打ちを行った伝承が残る寺社を集計したところ、147に及ぶことがわかった。

 「本当に神仏を敬っていたなら、これほど寺社を焼くはずがない。謙信に関しては、そのエピソードの多くが『神話』だといっていい」

 萩原さんによると、謙信にとって、あれほど主張した「義」もスローガンに過ぎなかった可能性が高いという。その論拠が、1570年12月に書かれた神仏への奉じ文だ。謙信はそこで「越中へ馬を出し(略)、越中存じのまま、一篇に謙信手に入れ候わば明年の一年は必ず日々看経(かんきん)申すべく候なり」(越中へ攻め込み、思い通りすべて手中に収まるのであれば、年明けの一年間は毎日欠かさず経を読みます)と誓っている。

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 実際、翌71年3月に謙信は…

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