51年勤めたホテルマン 最後の夜、高倉健さんの言葉と

有料記事いつも、どこかで

若松真平
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 名古屋城を望む一等地にあるホテルナゴヤキャッスル(名古屋市西区)。建て替えのため9月末で休館したのに合わせて、開業当初から51年間勤めたホテルマンが引退した。

最後の泊まり勤務

 最終出勤日だった9月29日の夕方、尼子訓さん(69)はロビーに立っていた。

 肩書は「ナイトマネージャー」で、午後4時半から翌朝9時半までの泊まり勤務。世界の要人が宿泊し、中部財界の会合にも使われたホテルの夜の責任者だ。

 常連客やかつての同僚たちが代わる代わる訪ねてきて、笑顔であいさつを交わす。

 家を出る時、妻と娘から「お父さん、最後だよ。がんばってらっしゃい」と声をかけられた。

 いつも通りのつもりだが、どこか力が入っている自分がいた。

大学時代のアルバイトから

 1969年10月の開業時からのメンバーで、アルバイト時代も含めて勤続51年。尼子さんの歩みとホテルの歩みはピッタリ重なっている。

 大学生だったころ、今と違ってホテルは富裕層しか利用できない特別な場所だった。

 「ぜひ、ここで働いてみたい」という憧れからアルバイトに応募し、宴会係として働き始めた。

 いざなぎ景気もあって、連日のように宴会が開かれ、土日は披露宴で大忙しだった。

高倉健さん宿泊

 大学卒業後、そのままホテルに就職し、メインダイニングでのサービス係からスタート。翌年には、宿泊客の精算業務を担当するフロントキャッシャーに配属された。

 1978年にメキシコ大統領一行が100人以上で宿泊した際は、食事や宿泊の人数が変更になり、一晩かけて明細書を作った。

 接客も担当するようになったころ、俳優の高倉健さんが映画の上映あいさつのために宿泊した。

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 マッサージの依頼があり、時…

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