興福寺鐘楼、創建時の姿明らかに 建築史巻き戻す発見か

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渡辺元史
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 世界遺産の奈良・興福寺の境内で発掘調査を進める奈良文化財研究所奈良市)は25日、奈良時代の創建当時の鐘楼(鐘つき堂)が「袴腰(はかまごし)」を備えていた可能性が高いとする調査結果を発表した。袴腰は、下段がスカート状に広がる形をした装飾。日本では平安後期以降に出現したと考えられてきたが、この歴史を約400年さかのぼる可能性もある。

 奈良時代の鐘楼で袴腰の痕跡が確認されるのは初めて。発表などによると、興福寺の鐘楼は創建以降8度焼け、最後に焼失した1717年以降は再建されていない。奈文研は1998年から境内の発掘調査を進めており、2015年に鐘楼の基壇の一部を確認していた。

 今回、鐘楼跡から長方形の基壇(南北約15メートル、東西約11メートル)を発見した。すぐ内側にロの字状に溝がめぐっており、袴腰の基礎の石材を支えていたと考えられるという。溝の内側に鐘楼本体の柱の礎石があることや、古代興福寺の諸記録を記した「興福寺流記(るき)」にある鐘楼の寸法と遺構の寸法が一致したことなどから、鐘楼が袴腰を持つ楼閣だった可能性が高いと結論づけた。

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 興福寺の鐘楼は奈良時代当時…

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