焼夷弾、どうか落ちないで… 妹の手を引いた8歳の私

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 焼夷(しょうい)弾は雨のように降り注ぎ、わずか2時間弱で富山市中心部の99・5%を焼き尽くした。逃げる以外、誰も何もできなかった。「早く終わって」。祈り続けた少女は、声を失った。

 1945年8月2日未明、8歳だった金守嘉子(かなもりよしこ)さん(83)は用水路につかって息を押し殺していた。

 「シュルルー」

 不気味な音を立てて、焼夷弾が降り注ぐ。周りにも身を潜めている人たちがいた。隣は夫婦で女性が「何歳?」と尋ねてくれた。

 「小学3年生」。ぶっきらぼうに答えた後、しばらくすると、「うー」と声がした。振り返ると、さっきの女性の首に焼夷弾が直撃していた。火花があがり、血が噴き出た。子どもの目にも、即死と分かった。

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 「おーい、おーい」。夫が声…

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