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 ポーランド南部にあるアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所跡に、ただ一人の日本人ガイドがいる。中谷剛さん(54)。戦争を知らない世代の、それも日本人が、ナチスドイツによるホロコーストの歴史を伝える――。20年以上続けるうちに、中谷さんが考えるに至った「部外者の役割」とは。

拡大する写真・図版アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所の跡を案内する中谷剛さん=2018年9月、ポーランド・オシフィエンチム、山内深紗子撮影

 1966年生まれ。栃木県足利市で育つ。著書に「アウシュヴィッツ博物館案内」「ホロコーストを次世代に伝える」。翻訳家としても活動。

必読書50冊 3年かけてガイドに

 アウシュビッツ・ビルケナウ収容所跡には、1年に200万人以上が訪れる。中谷さんは年2万5千人ほどの日本人の来訪者とともに、アウシュビッツと、バスで約10分の距離にあるビルケナウの両収容所を3時間かけて回り、日本語で案内している。

 ――戦後生まれの、それも日本人が、アウシュビッツで語り続ける。肩身が狭くないのですか。

 「部外者が携わっていいのか、という思いは常にあります。ホロコーストを生き抜いた生還者の話を聞くほどに、彼らの気持ちを『理解できる』とは言えない。それでも続けるうち、役割分担なのだ、と思うようになりました」

 「歴史を継承するには生還者の言葉を正確に伝えることが大切ですが、一方で、『なぜこんな悲劇が起きたのか』という理由や背景を生還者に求めるのは困難です。そこは戦争を経験していない、案外遠いところの外国人の方が、客観的に捉えられることがある」

 ――どういうことですか。

 「例えば、アウシュビッツにはヒトラーの写真は一枚もありません。私は、なぜだと思いますか?と問いかけます。彼一人が起こしたことではないから、です。また、世界恐慌後に苦境に陥ったドイツの街角で『害虫、ユダヤ人は出て行け』というヘイトスピーチが始まった、と話します。その十数年後に一体何が起きたのか? 聞く人は『同じような状況はいま、私たちの身近にはないだろうか』と考えるかもしれません」

拡大する写真・図版アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所の収容棟==2018年9月、ポーランド・オシフィエンチム、山内深紗子撮影

 「コロナ禍の今、水を得た魚のように排他的になる人がいる。一方ですごく良心的な人もいる。スペイン風邪の流行から大戦に至る歴史の中にもあった状況です。この力関係で、大事なのは大多数の傍観者がどう振る舞うか。歴史から何かを考え、少なからず行動する人を育てていくのはアウシュビッツの役割でもあると思います」

 ――日本で育ち、就職もしたのになぜ25歳で突然ポーランドに?

 「大学を卒業して、医療用ベッドを販売する会社に就職したのは、バブル真っ盛りのころでした。暗い歴史のことなんかより、明るい将来に向けておいしいものを食べ、経済成長していけばいいと思っていました」

 「そんな日々を送る中で、ベルリンの壁が崩れた時に、学生時代に共産圏だったポーランドで出会った若者のことを思い出し気になり始めたんです。自由を求めていた彼は今、どうしているだろう。次第にベッドが売れる喜びを感じられなくなっていき、失敗したら1カ月で戻ればいいや、というくらいの気持ちで会社を辞めて渡航しました」

 「若者に再会したら、暗い目をしていて。自由にはなったが、失業率が上がりインフレもある。自由や民主主義とは、思っていたより深いものなんだと。ここに住んで、もっと知りたいと思いました」

拡大する写真・図版ユダヤ人は、欧州中からアウシュビッツに連行された。到着後に没収された収容者のカバン=2018年9月、山内深紗子撮影

 ――なぜガイドに?

 「ポーランドではテレビでも繰り返し戦争が取り上げられます。悲しく苦しい歴史を、なぜここまで伝えるのか、と。そんな時に初めて正社員として雇ってくれたワルシャワの日本料理店で、クローク係をしていた生還者と出会った。誰もいない時に寄って来て、アウシュビッツで経験したことをコソコソ話す。ほかの従業員が来ると、やめる。生還者が『あれだけ死んだのに、なぜ君は生き延びたのか』という偏見を感じて生きている。そんな中で歴史を伝えるというのはどんなことか、と気になってきた。生活のため安定した職を求めた部分も大きかったですよ。そのころアウシュビッツの近くの出身の妻と結婚したので」

被害と加害 単純な構造ではない

   ■

 ガイドになりたいと施設を訪ねたのは、渡航5年後。当時のガイドには生還者が多く、全員がポーランド人だった。50冊の必読書リストを渡され、門前払いに。翌年受けた試験も不合格だったが、3年目に初のアジア人として採用。以来、23年になる。

 ――自分が日本人である意味を、どう考えてきましたか。

拡大する写真・図版虐殺された収容者の大量の義足や松葉杖=2018年9月、山内深紗子撮影

 「アウシュビッツには、多くのドイツ人も訪れる。私自身、ナチスドイツと同盟を結んだ国の人間です。それも相まって、加害者側からどう見えるのかを理解したくなり、日本軍が中国人捕虜への人体実験をした旧満州(中国東北部)・ハルビンの『731部隊』の展示施設を訪れました。周囲の視線が気になり、こんなむごいことを……と、みじめな気持ちになっていた時、売店の若い女性店員が『ありがとうございました』と日本語で話しかけてくれた。その一言に、救われる思いがしました」

 「市民団体の主催で長崎や広島の被爆者らと船でシンガポールまで行った時は、被爆者がまず加害者の日本人としてみられ、『原爆が落とされたから戦争が終わったのでは?』と問われて悩んでいる姿を目の当たりにしました」

 「アウシュビッツも、ユダヤ人が被害者で、ドイツ人が加害者という単純な構造で理解することはできない。中間地点にはたくさんの傍観者がいたし、ユダヤ人でも虐殺を手伝わされた人もいた。当事者であればあるほど、自分が加害者なのか、被害者なのかが分からなくなるのが戦争なんだ、と。証言に向き合い、なぜ起こったかを考える上で、私はこの視点が重要なのだと思うようになりました」

 ――どうしてですか。

差別は競争心の裏返し ブレーキかけるしか

 「互いの正当性を主張することを乗り越え、どうしたら繰り返さないかを考えることにつながるからです。生還者で元館長の故カジミエシュ・スモレンさんは、ドイツ人の来訪者にも『あなたたちに戦争の責任はない。でも、なぜ起きてしまったのかを考え、二度と繰り返さないように行動する責任はある』と言っていた。そういうことなのだ、と思います」

   ■

 ――「淡々と伝える」ようにしていると言います。なぜですか。

 「スモレンさんが、そうだったんです。理由を尋ねると『涙を流すより、悲劇を繰り返さないように自ら考え行動してほしいから』と。笑いや冗談も交えて話す。自分たちは筆舌に尽くしがたい経験をした。それを伝えなければならない。でも受け取る方は苦しいだろうと。やさしさです。生還者に共通するのですが、底知れぬ人の心のありように魅せられました」

 「生還者は、人間の最も野蛮な部分を見続け、極限状態に長くいたので、人間の本性が見えすぎてしまう。苦しいでしょう。それでも、人はすばらしい面も持ち合わせていると信じている。自分や身近な人の喜怒哀楽を大切にしていくことで、野蛮なところ、闇の部分がたくさん出てしまうのを防ごうと考える。人間というものへの諦めがあった上で、光の部分を求めているのだと思います」

 ――「アウシュビッツはなかった」といった歴史修正主義は欧州でも、日本でも強まっています。

 「『間違っている。改めなさい』と否定しにかかると、感情のぶつけ合いになってしまう。なぜ相手がそんなことを言い出したのかという真意を探ろうとすれば、歩み寄っていけるところもある」

 「差別は、競争心の裏返しであって人間の本性です。歴史から学び、闇の部分を広げすぎないようブレーキをかけるしかない。歴史は個人や国家がそれぞれ考え選択し、行動した結果の集合。選択を迫られる中で、歴史を知っていれば、自分や社会の立ち位置が分かり、引き返す手助けになる」

 ――20年で、見学者の変化はありますか?

 「歴史の前提が共有できていない場面も増えてきました。ナチスが台頭した当時のことを話すとき、日本は三国同盟の一員だった、などと具体的な話を入れるんですが、学生でもぽかんと口を開けてしまう。それと一昔前なら「日本は平和だから」と知らなくても焦る様子はなかったですが、最近は、分からないことに焦っている表情が見える。なぜホロコーストが起きたか、自分とつなげて考えることができないのです」

 「第2次世界大戦の背景だって入試にはあまり出ない。マスコミで戦争を取り上げても、どうしても感情的なメッセージになりがち。教室の中で落ち着いて戦争について学んで、自由に語り合える機会が必要です」

 ――「勉強になりました」とか、「頑張ってください」と言われると、「きょうのガイドは失敗だった」と感じるそうですね。

 「アウシュビッツを3時間歩いて、その場で答えを出す必要はない、と思うからです。むしろ答えが出ずモヤモヤしながら、1年後、2年後に日常生活の中で『ああ、あの時聞いたのはこういうことか』と腑(ふ)に落ちるくらいがちょうどいい。常にモヤモヤしながら、柔軟に考えられることが、経験のないことが起こった時に、乗り越えていくことにつながるように思います」

 「大きな平和を求めるより、家族や身近なところにある喜怒哀楽を大切に一生懸命に生活していくこと。朝ご飯を食べ、学校に行く。そんな幸せのために、どうやったら人間の闇の部分が多く出すぎない状況をつくっていくか、行動することなのでしょう」

 ――心がけていることは。

 「毎回、説明は少なく、話しすぎず、と自分に言い聞かせます。風邪ぎみで調子が悪かったとき、かえって来館者に感謝されたりします。人間は必ず善悪を併せ持っているので、吐き出すことも必要です。私には妻と20代になった2人の子供がいます。彼らに一生懸命向き合うことで、仕事とのバランスを取ってきたのかもしれません」

 「常に自分と家族の喜怒哀楽のためにやっています。大きな世界平和のためではない。こんな悲しみがある場所で、普通はエネルギーを吸い取られそうですが、ガイドは生き生きしていて。エネルギーをもらっているのかもしれません」(聞き手・小島弘之、平賀拓史)

「歴史を知る」 行動伴ってこそ

 「歴史をすごく知っています、と言ってくる人が実は苦手です」。中谷さんのこんな言葉に、記者3年目の僕(28)は戸惑った。

 自称「歴史オタク」。だが、事実を頭に入れていただけだったのか。「歴史を知る」とは史実を踏まえ、なぜ起きたのかを考え、繰り返さぬよう行動すること。悪が善を上回らぬよう、個々がブレーキをかけながら、日々の生活と身近な人を大切にすること。中谷さんの言葉には、歴史と向かい合ってきた実感がこもっていた。

 戦争体験者から直接証言を聞けなくなった後も、再び戦争を起こさない社会をどうつくるのか。いま僕たちが突きつけられている課題だ。終戦の47年後に生まれた、「部外者」ともいえる僕にも、僕だからこそ担える役割があるのだと気づかされた。(平賀拓史)

拡大する写真・図版アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所の跡を案内する中谷剛さん=2018年9月、ポーランド・オシフィエンチム、山内深紗子撮影

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 〈アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所〉 第2次世界大戦中にナチスドイツが設置し、欧州各地から移送されたユダヤ人ら約110万人を大量虐殺した。1947年にポーランドが跡地を国立博物館として開所。史実の理解を超え、惨禍を起こさぬよう行動できる人を育てようと、生還者が「語り部」をする一方、80年から戦争経験のないガイドも育成してきた。2000年に最後の語り部が去った後は、全330人のガイドが案内を担う。出身国はポーランドを中心に米国、コロンビア、ドイツ、韓国など多数。訪問者の9割がガイドの案内を受ける。入館無料で、維持費の6割をガイド料や出版で賄う。ガイドは1回30人が上限で要予約。

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