攻めてきた水、しがみついた母の足…恐怖乗り越え20年

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編集委員・伊藤智章 土井良典
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 20年前の9月12日未明、新川で堤防が決壊し、名古屋市天白区では川の氾濫(はんらん)による浸水がピークに達した。東海豪雨から20年。それでも解決しない問題は残り、つらい記憶を乗り越えた人たちもいる。

「ヘンなやつ」と思われても

 「なぜ僕らだけが危ないところに住まなきゃいかんのか」。愛知県清須市西枇杷島町の小沢康典さん(79)は、20年がたついまも腹立ちが消えない。

 豪雨後、国や県に損害賠償を求める新川訴訟の原告に加わった。庄内川の洗堰(あらいぜき)を閉鎖せず、新川に水を流し込む構造のままにしていた管理責任を問うた。

 豪雨後、国は洗堰を約1メートルかさ上げし、堰を越えて新川に流れ込む量を減らした。しかし、いまも堰の部分は堤防より3・6メートル低く、増水すれば新川に水を逃がす構造は変わらない。

 裁判は2012年に最高裁で敗訴が確定した。小沢さんは14年、名古屋市の枇杷島橋工事に連続し、県が進める枇杷島陸橋の架け替え説明会に、手製の立体模型を持ち込んだ。

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