吃音で就活全滅「ロレックスが似合う社会人に」と再挑戦

有料記事患者を生きる

小川裕介
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 大阪府堺市の西尾公希(にしお・こうき)さん(23)には、滑らかに話せない吃音(きつおん)が幼い頃からありました。「吃音は個性」と前向きにとらえて学校生活を送ってきましたが、就職活動の面接で思うように話せず、不採用が続きました。一時は家に引きこもりがちになりましたが、今はコロナ禍の中で、障害者手帳を手に就活を続けています。再起するまでを追いました。

「どもる癖があんねん」

 西尾公希さん(23)は4歳のとき、通っていた保育所のクラス全員でかわす朝のあいさつで、自分だけ最初の言葉でつまることに気づいた。

 「おはようございます」の最初の「お」がうまく発せられず、自分だけ「お、お、お」となってしまう。滑らかに話せない吃音だった。

 小学校に入ってからは困ることが増えた。国語の音読では、調子が悪いと言葉がなかなか出てこなかった。深刻ないじめや嫌がらせに遭った記憶はないが、友人にまねされ、何食わぬ顔でいても傷ついた。

 高学年や中学生になると、徐々に自分から話すことをためらうようになっていたが、友達には「どもる癖があんねん」と自ら告げ、からかわれないように明るく振るまうことを心がけた。

 母の千明(ちあき)さん(47)は、公希さんが幼い頃から吃音の症状があることに気づいていた。通っていた保育所の保育士らに相談したが、「急いで話そうとしているだけで、そのうち治る。気にしなくて良い」と言われた。

 吃音があっても友達と積極的に関わる息子の姿に、安心感も覚えていた。「私が神経質になって病院を連れて回れば、もっと吃音を気にするようになる」との思いから、見守ることにした。

「吃音は個性」と言い聞かせ

 公希さんは小学生の頃に空手を始めた。初めは吃音混じりのあいさつをすると笑う人もいたが、有段者になると笑われなくなった。高校生のころからは、地域の祭りを担う青年団に参加した。

 自身の吃音について、「明るく振るまえば、周囲は理解してくれる」「吃音は個性」と、前向きに考えるようにしていた。

 だが、高校では、周囲の反応にとげとげしさを感じることが増えた。ある日、別のクラスに行くと、誰かが「ぼ、ぼ、ぼく」とまねしているのが聞こえた。

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