バブル期は1940ページ 世界一分厚かった住宅情報誌

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岩井建樹
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 「夢のマイホーム」。そんな言葉が、かつてあった。結婚して、出産し

、自宅を持つのが当たり前とされた時代。そんな人々の価値観をくみ取り、「世界一」の分厚さを誇るまでに成長した住宅情報誌があった。

 5年前に結婚。狭いアパートの中で家事と育児に追われ、「早く自分の家を持ちたいという願いから逃れられなくなってしまったんです」。

 1976年1月、そんな女性の声が、ある情報誌の創刊号で紹介された。この雑誌こそ、日本リクルートセンター(現・リクルート)が発行し、後にマイホーム選びのバイブルとなる『住宅情報』だった。

 この3年前にオイルショックが起きて不況に。主力事業の人材採用広告で打撃を受けたリクルートが、ピンチを乗り越えるために目をつけたのが住宅広告だった。当時、団塊の世代が結婚し、持ち家を望み始めた時期だった。政府も不況対策として住宅建設を推進し、住宅金融公庫(現・住宅金融支援機構)が住宅ローンの供給を拡大した。

情報を正そうという気概があった

 創刊号は124ページ、紹介物件は129件。広告売上高は約500万円。『住宅情報』の後継メディア「SUUMO(スーモ)」の編集長、池本洋一さん(48)は「無料掲載も多く、当初は苦労したようだ。だが、読者優先の編集方針で信頼を獲得し、広告が増えていった」と言う。

 リポーターが物件や街を報告する記事が人気を博し、「徒歩1分=80メートル」といった表記ルールを整備。規約を守らない広告は載せなかった。「当時、不動産広告の表現は過剰で真偽不明なものも多かった。情報を正そうという気概があった」と池本さん。

 掲載物件は当初、都心の新築マンションが中心だったが、地価の上昇に伴い郊外のニュータウンの情報が増えていく。中古・新築、一戸建て・マンションと様々な物件を掲載。90年の新年合併号は1940ページになり、世界一厚い週刊誌として、ギネス世界記録に認定された。

 埼玉県鳩山町の男性(73)は80年代半ばに自宅の購入を検討。都内は高くて手が出なかった。『住宅情報』で知ったのが「鳩山ニュータウン」。都内の職場まで1時間以上かかったが「当時は当然のことだった」と振り返る。

発行エリアを細かく分けた地域情報誌へ

 郊外化の流れを変えたのが…

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