私が「内なる優生思想」を脱した転機 ALSの舩後議員
筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者で、昨年参院議員になった舩後(ふなご)靖彦さん(62)。今年7月にALS患者の嘱託殺人事件が発覚したその日に「死ぬ権利よりも生きる権利を守る社会に」と声明を発表した舩後さんですが、約20年前にALSを発症した後は「死にたい」と思い続けていたそうです。「生きよう」と思えた転機は、何だったのでしょうか。(森本美紀)
私はこう生きる 筋萎縮性の難病患者の日常と生きづらさ
こちらの記事では、体が動かなくなっていく難病の女性2人が送る日常と、それを支える家族や社会について取材しました。
臨床哲学者と作家が語る 難病患者の「生きる意味」
臨床哲学者の清水哲郎さんは、体が動かせない人も社会の役に立っていると言い、ドリアン助川さんは社会の役に立つという価値観から一度離れてみては、と語ります。
《プシュー。プシュー。東京・永田町の静かな議員事務所に、人工呼吸器の音が響く。介助者が指でたどる文字盤の50音を一つずつ、かすかなまばたきで特定して言葉を伝える。国会では文章を音声に変換する機器を使ったり、秘書が代読したりして質問。常にそばに介助者が付き添い、たんの吸引もする》
ALS患者で人工呼吸器ユーザーの初の国会議員となって1年余り。初めはエレベーターで乗り合わせると降りてしまう議員もおられましたが、今は気軽に声をかけてくれます。本会議場の演壇へのスロープが来年にも設置されるなど、バリアフリー化も進んでいます。私が国会という場で活動するのは、車いすで寝たきりの状態で声が出せずとも、人工呼吸器をつけ、必要な医療的ケアや介護、コミュニケーション支援を受けられれば自分らしく生活し、社会的活動や仕事ができることを知ってほしいからでもあるのです。
「彼」がくれた、味わったことのない喜び
《41歳の夏。貿易会社で数字に表れる実績に生きがいを持ち、妻と11歳の娘との生活に幸せを感じていたある日、腕がしびれて歯ブラシが手からぽろりと落ちた》
数日のうちにカバンを持てなくなり、1カ月後には頭の重さを首で支えられず、うなだれるようになりました。ペットボトルのふたも自力で開けられない。足をひきずるように歩き、次第に舌がもつれ、うまくしゃべれなくなった。
介護される経験がなかった者…
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