「血で血を洗う選挙」勝った菅義偉氏 創価学会との宿縁

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聞き手・神田大介
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【朝日新聞ポッドキャスト】 菅義偉官房長官

 次の自民党総裁、そして首相の最有力候補に躍り出た菅義偉官房長官。歴代最長となった安倍政権を支えるスポークスマンとして、毎日のようにテレビで顔を見てきました。

 ですが、その人物像はよく知られているとは言えません。初めて国政に挑戦した1996年の衆院選を取材した朝日新聞の秋山訓子・編集委員が、その人柄を語りました。朝日新聞ポッドキャストでお聞きください。主な内容は以下の通りです。

・菅氏の国政初出馬、対立候補は創価学会のスタッフ出身。「血で血を洗う選挙」

・ぐしゃりと握りつぶした「スパイの報告書」、異様な雰囲気の街宣車

・選挙の票固め、どうやってまとめる? 創価学会が選挙で強いと言われるのはなぜ

・今では公明党、創価学会と自民党のパイプ役になった菅氏。両陣営が骨の髄まで感じた怖さとは

写真では

「森友」「総理やじ」「志村けんさん」……菅義偉官房長官が記者会見に臨む際、書類につけていた印に注目しました。

有料会員の方は

音声の主な内容をテキストでも確認していただけます(音声の内容をそのまま書き起こしたものではありません)

     ◇

Q:菅さんはなぜ政治の道に?

A:実家は秋田のイチゴ農家です。横浜が地盤の小此木彦三郎さんという国会議員がいて、ものすごく有力な政治家でした。亡くなられて、今は息子の小此木八郎さんが議員ですが、菅さんは彦三郎さんの秘書でした。そこから横浜市議に転じ、2期務めた後に国会議員になっています。

Q:なぜ横浜に出てきたのですか?

A:高校までは地元でしたが、上京して働きながら法政大学の二部に通い、設備会社に就職した。ところが、「世の中は政治でまわっている」と実感したそうで、大学の学生課に相談して政治家の事務所の働き口を教えてもらった。そこで猛烈に働いて、その働きぶりをみた小此木彦三郎さんから声をかけられて、秘書になったそうです。

Q:国政選挙にはじめて出たのは1996年。対立候補は?

A:当時、新進党という小沢一郎さんがつくった党がありました。自民党ではない複数の政党が合流してできた政党で、その中には公明党もありました。

 その創価学会の組織内候補の現職の方に、菅さんが挑む形になったんです。創価学会としてもこの人は絶対に落とせない、という重点候補だったんですよね。

Q:公明党の支持団体が創価学会。学会員ではない公明党の政治家もいますが、菅さんの対立候補は創価学会のスタッフだった?

A:そう、コア中のコアだった…

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