光秀の禁制、上賀茂神社にあり 「本能寺の変」5日後に

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久保智祥
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 秋の「京都非公開文化財特別公開」(京都古文化保存協会など主催、朝日新聞社特別協力)が1日、開幕した。新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、この日は、上賀茂(かみがも)神社、長楽館、東福寺法堂、東福寺三門の4カ所で公開が始まった。今後、12月13日までの会期中に寺社など18カ所が分散した日程で公開される。

 拝観料は1カ所あたり原則大人1千円、中高生500円。詳細は京都古文化保存協会のホームページ(http://www.kobunka.com/別ウインドウで開きます)で確認を。問い合わせは協会事務局(075・451・3313)へ。

緊迫の情勢 古文書が語る

 京都市北区の上賀茂(かみがも)神社には、戦国武将明智光秀が「本能寺の変」の5日後に出した古文書が所蔵されている。領内での略奪や乱暴な行為などを禁じた禁制だ。神社の会計帳簿には、変の直後に光秀に銭を贈った記録もある。専門家によると、当時の緊迫した情勢を伝える史料だという。

 上賀茂神社に伝わる「賀茂別雷(わけいかづち)神社文書」(国重要文化財)は、平安時代から昭和にかけての古文書群で、約1万4千通ある。

 戦国史に詳しい金子拓(ひらく)・東京大学史料編纂(へんさん)所准教授(日本中世史)によると、このうち光秀の禁制は、天正10(1582)年6月2日早朝に起きた本能寺の変の5日後にあたる6月7日付。軍勢その他が、山城国(現在の京都府)の上賀茂と貴布祢(きふね)(貴船)の両神社で「乱妨狼藉(らんぼうろうぜき)」をはたらくこと、駐留し野営すること、銭や兵糧米を供出させることを固く禁じ、違反した者は処罰するとし、日向守(ひゅうがのかみ)(光秀)の署名と花押がしるされている。

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