東京パラで人間の可能性感じて 車いすのボランティア

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荒ちひろ 斉藤佑介
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 この夏、東京五輪・パラリンピックの「顔」になるはずだったのは、8万人を超えるボランティアだった。その一人、車いすの男性はいま、「人間の可能性」を信じ、リハビリに励む。東京パラリンピックまで24日で1年となった。ボランティアの思いに支えられる大会組織委員会の職員もいる。

 東京都大田区の粟田修平さん(47)は、全身の骨が弱く骨折や変形をしやすい先天性の難病「骨形成不全症」で、車いすや松葉杖を使って生活している。地元の身体障害者相談員を務め、小中学校などで講演してきた。

 パラリンピックに興味を持ったのは2000年。スポーツ観戦が好きで、テレビで見るシドニー五輪の盛り上がりに「あの会場に行ってみたい」と思い立った。当時、パラの知名度は今ほど高くない。チケットをとれるだろうと、現地へ飛んだ。

 雨のシドニー。傘で手がふさがり車いすを動かすのに苦労していたところ、道行く人が「押しましょうか」と声をかけてくれた。大会の熱気にも魅了され、その後も2大会を観戦し、現地のボランティアや市民と交流を重ねた。

 08年の北京大会では学生ボランティアが、片言の英語でオリンピックスタジアムを案内してくれた。12年ロンドン大会では、ボランティアの制服を着た手作りの人形を市民から贈られた。

 「今度は自分が世界の人々を迎えたい」。13年に東京開催が決まってから、車いすバスケットボールの大会ボランティアなど、年5回ほど活動し、経験を積んできた。東京大会のボランティアや地元大田区の五輪のボランティアに応募し、選ばれた。

 だが今年1月、脳出血に襲われた。左手足が突然しびれて動かなくなり、入院すると寝たきり状態が続いた。その後、大会ボランティアとして車いすバスケ会場での役割が正式に決まった。「大会に間に合うのか」と不安になった。新型コロナウイルスの感染拡大が続き、病室でニュースを見守り、大会の行方に気をもんだ。「中止にならなくてホッとした」

 7月に退院し、日常の生活が戻りつつあるが、左手足が動かしづらいなどの後遺症が残る。一方で、今回の大会延期は、体調を万全にするまでの猶予期間だと、前向きにとらえている。

 「人間の可能性はすごいんだということ、どんな状況でも素晴らしいことを成し遂げられることを肌で感じてほしい」。そして、会場でたくさんの人と出会いたい。まだ元の6割ほどという身体機能を回復するためリハビリを続ける日々。

 この夏、組織委からボランティア予定者に意思確認のメールが届いた。予定通り参加するつもりだ。「感染防止の対策を講じた上で、なんとか開催できたら」と願っている。(荒ちひろ)

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■ボランティアの6割が不安…

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