宮崎)学徒動員の工事参加がきっかけ 戦跡を残す病院

有料記事戦後75年特集

浜田綾
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 宮崎県日向市の協和病院は、特攻隊員が訓練を行い、出撃待機した基地「海軍富高航空基地」の跡地に立つ。敷地内には滑走路跡と米軍の爆撃による大きな穴が残る。「可能な限り保存していく」という病院の方針の背景には初代理事長兼院長の戦争体験があった。

 海軍富高航空基地は1929(昭和4)年に開設された県内最初の飛行場とされる。その後も拡張工事が続き、最終的に西は日豊線、北は塩見川、南は赤岩川に囲まれた広大な飛行場になった。特攻隊員が出撃地の鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)に飛び立つ日には、黄色い旗が掲揚されたという。

 協和病院を開院した堀彰夫さん(享年65)は延岡市で生まれ育った。旧制延岡中学(現延岡高)に在学時、学徒動員で富高航空基地の拡張工事に参加した。病院事務長で長男の堀俊一郎さん(56)によると、この時の経験が後に病院の場所を選んだきっかけになったという。

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 彰夫さんは久留米医科大(現…

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