消えゆく仙台中心部の「戦後」 4千人住んだバラック跡

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編集委員・石橋英昭
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 百万都市・仙台のど真ん中から「戦後」の痕跡が消えようとしている。

 青葉区追廻(おいまわし)地区。仙台城跡のある青葉山と、広瀬川とにはさまれた国有地7・9ヘクタールをいま訪ねると、だだっ広い空き地が所在なげに横たわるだけだ。

 秋から年末にかけ、芝生広場と休憩・展示施設の工事がいよいよ始まる。この場所を市民が気軽に来られる公園に変え、城下町の歴史を伝える観光拠点にするのが、仙台市の悲願だ。6月には財務省と土地の無償貸与契約を結んだ。

 戦争で傷ついた人々が最大時約4千人、泣き笑いしながら暮らしていた。その残像さえ浮かばない。

国策で1946年完成

 藩政時代には武家屋敷と馬場があった。明治に改まると、仙台城には陸軍師団が置かれ、追廻は練兵場や射撃場に転じ、軍人や軍馬が行き来した。

 1945年7月10日、軍都仙台に米軍機の焼夷(しょうい)弾が降り注ぐ。市中心部は焦土と化し、多くの人が焼け出された。ひと月後に終戦を迎え、今度は満州などに移住していた人たちが命からがら戻ってくる。戦災者と引き揚げ者を収容するため国策で翌年完成したのが、バラック長屋計620戸の「追廻住宅」だ。

 住民がつくったこんな短歌がある。

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 《リュック負いアジヤの果よ…

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