第3回零戦も海底に眠る父島 戦中に飛行場…操縦苦しめた欠点

有料記事戦後75年 小笠原の海から

小川崇
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 小笠原諸島・父島(東京都小笠原村)。旧日本軍の洲崎飛行場跡地から約200メートルの海に、航空機の残骸が眠る。エンジンや主翼には海藻のようなものが付着していた。「特攻」に使われたことで知られる「零戦」とみられる。

海軍の飛行場として整備

 「洲崎飛行場は、特攻の基地として使われたと考えています」。父島で20年近く暮らした高校教諭で郷土史家の上條明弘さん(61)は話す。

 太平洋戦争前から、本土と南洋諸島を結ぶ輸送の中継地として重要な役割を果たした父島には、陸軍の司令部や海軍の航空隊も配置されていた。小笠原村教育委員会によると、海軍の飛行場として洲崎が整備されたのは1930年代。戦争末期には航空機の格納庫も着工されていたという。

 上條さんは、元兵士の証言や命令書など日米の記録を調べてきた。軍による電文には、父島から発進した航空機に関して「特攻の一機」が「命中確実」との記載があった。約280キロ離れた硫黄島での米軍との激戦にあたり、拠点基地として洲崎を使ったのではないか、と推測している。

「何機かが海へ…」

 この飛行場には、大きな欠点があった。滑走路は長さ500メートル。「干潟を埋め立てて造られ、短くて離陸や着陸が難しかったようです」。たびたび事故を起こしたとする記録や証言も残されている。

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 当時の飛行場を覚えていると…

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