第1回兄よ、船でいずこの海へ…96歳の妹は最期を知りたい

有料記事戦後75年 小笠原の海から

小川崇
[PR]

 小笠原諸島東京都小笠原村)近くの海には、戦時中に米軍の攻撃で沈められた船が残る。多くは軍に徴用された民間船で、船員たちも動員された。しかし、詳細がわかっていない徴用船も多い。

船乗りにあこがれた兄

 三重県度会町に住む井戸本たかさん(96)も、75年以上前に小笠原で「戦死」したとされる兄の最期がいまもわからないままだ。

 井戸本さんによると、兄の瀬尾勇さんは「世界一周をしたい」と船乗りにあこがれ、商船学校に進んだ。毎朝5時に起きて自転車で通う兄の足に、ゲートル(防護具)を巻いてあげるのが彼女の役割だった。

 寄宿生活が始まると、生活費を届けた。「女の私がいくと嫌がるから、事務所に顔を出して、すぐ帰ってしまった」と懐かしむ。

 卒業後は民間の船舶会社に入ったはずの兄。横浜のドックに会いに行ったことがある程度で、ほとんど話す機会はなかった。「立派になって船長になりたかったんだと思います」

突然の知らせ

 海外で船乗りをしているとばかり思っていた。1944年夏、小笠原で輸送船に乗っていた兄が「戦死」したと、親から聞いた。父島方面で米軍の攻撃を受けたという。兄は24歳だった。何という船だったのか、どうして乗ることになったのか。何もわからない。

ここから続き

 親族に残されたものは、いか…

この記事は有料記事です。残り636文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【お得なキャンペーン中】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら

戦後75年特集

戦後75年特集

2020年は終戦75年の節目です。あの時のことを語れる人は減ってきています。まだ、間に合います。戦争を知る人々からのバトン、受け取りませんか。[もっと見る]

連載戦後75年 小笠原の海から(全3回)

この連載の一覧を見る