昭和の銀幕を彩った名優高峰秀子さんの自叙伝「わたしの渡世日記」(文春文庫)の前半のラストは、特攻隊を慰問して「同期の桜」を合唱する場面だ。

 「まだ少年としか言いようのない紅顔の特攻隊員は、舞台の私たちと一緒に元気に歌った。この人々の行く手に待っているのは、確実な『死』である」

 「私は二十一歳だった。……喉(のど)もとに熱いかたまりが突き上げてきて、私は半べそだ。……見物席の隊員たちはオイオイと男泣きに泣きだした」

 声高に論ぜずとも、体験を淡々と記すだけで、戦争の悲惨さが伝わる。軍歌イコール戦意発揚といった図式的な見方ではとらえられない時代の証言だ。

 戦後、映画「二十四の瞳」で高峰さんは小豆島の小学校教師を演じた。召集された教え子たちを見送る「大石先生」は日の丸の旗を振り半べそだ。船上の教え子たちも泣き出す。群衆の歌う「露営の歌」と「暁に祈る」がかなしく響く。

沖縄戦を生き抜いた祖母、二階堂さんの思い

 その二つの軍事歌謡を作曲した古関裕而(こせきゆうじ)さんがモデルのNHKの朝ドラ「エール」は、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため収録が一時休止になった。

 ドラマも中断、その直前の週には、一人娘のお絵描きを8ミリカメラで撮る主人公夫婦の平穏な日常が描かれた。だが二階堂ふみさん(25)演じる妻はぽつり「ずっと続くといいね」とつぶやく。

 物語の前半は、大正デモクラシ…

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