改訂に駆り立てた被爆の経験 残った長崎市の記録わずか

有料記事戦後75年特集

米田悠一郎
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 机の上には文献の山。日当たりのよい部屋に、ペンを走らせる音、本をめくる音だけが響く。2004年、長崎原爆資料館の研修室で、丸田和男(88)は荒木正人(08年に87歳で死去)と週2回、午前9時から午後5時ごろまで、静かに作業にあたった。

 長崎市が1973年から12年がかりで編纂(へんさん)した「長崎原爆戦災誌」(全5巻)。丸田と荒木は、原爆投下の経緯などがまとめられた第1巻「総説編」の改訂を担っていた。

 米軍資料などから新たに分かった事実を踏まえて、「原爆を知る教科書」ともいえる書物を書き換える大仕事。ともに被爆者である2人の作業は、2年にわたって続いた。

 丸田は75年前の8月9日、旧制瓊浦中の1年生だった。英語の試験を終えて帰宅した、同市銭座町の自宅(爆心地から南に1・3キロ)で被爆。倒壊した家から抜け出して一命をとりとめたが、近所に外出中だった母親や、学校に残っていた114人の同級生を失った。

 半世紀余を経て、荒木から改訂作業の誘いを受けたとき、「生き残った者が後世に残さないといけない。自分がやらんば」と思い、迷わず引き受けた。

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 作業を進める中、何度か手に…

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