正岡子規でも勉強進まず? 友に「ノート未だ一枚も…」

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亀岡龍太
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 俳人・正岡子規(1867~1902)が帝国大学在学中、旅先から友人に送った書簡が見つかった。松山市立子規記念博物館が6日、発表した。故郷・松山から東京に戻る旅の様子を報告する一方、「ノート未(いま)だ一枚も繙(ひもと)かず」と、大学の追試験の勉強が進んでいないことを正直に打ち明けている。

 書簡は横167・5センチ、縦18センチ。1891(明治24)年9月1日付で、東京の同じ寄宿舎に住む幼なじみの竹村鍛(きとう)宛て。竹村は俳人・河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)の兄だ。子規の本名「正岡常規」と書かれた封筒や、俳人・高浜虚子らの寄せ書きなどとともに表装されていた。「子規全集」には未収録。同館が5月、愛媛県内の古美術業者から購入した。

 子規は同年6月に体調不良を訴え、大学の試験を途中で放り出し、7月初めに松山に帰省。8月25日に松山を発ち、9月5日までに東京に戻っている。

 書簡は、その途中に立ち寄った大阪から出された。広島・厳島や尾道、香川・小豆島を「漫遊」し、8月31日夜半に「大阪へ到着」と旅程を詳述。さらに「今日ハ一先(ひとまず)京都ヘ行き(実(じつ)ハ古書探訪之為(のため))」と9月1日の行動を伝えている。同館によると、瀬戸内各地を巡り、大阪に滞在したことは大阪の友人が後年述べた記録から分かっていたが、京都行きは今回初めて判明したという。

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 また、子規は書簡の中で、間…

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