83歳、被爆体験をパワポに 子どもたちにも思い届いた

有料記事戦後75年特集

吉田啓
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 75年前に長崎で被爆した三根繁さん(83)=福岡市早良区=は若い世代に伝わる証言の方法を模索してきた。今ではパソコンの発表用ソフト(パワーポイント)を駆使し、大学で講義もする。「工夫すれば思いは届く」。病気を抱えながら証言を続けている。

 三菱重工長崎造船所の近く、長崎市水の浦町で生まれ育った。被爆したのは8歳、国民学校3年の時だった。

 75年前の8月9日は、朝から空襲の警戒警報のサイレンが鳴っていたが、1時間ほどして解除された。

 自宅近くの防空壕(ごう)から戻ると、1歳の妹が高熱を出しており、母と3人で隣町の病院へ向かった。診察を終え、薬局に行く途中、金属的な閃光(せんこう)が走った。一瞬で、あたり一面に白濁したような光が広がった。とっさに薬局の待合室のベンチに潜り込んだ。数秒後、「ダーン」という衝撃音。薬局の壁のガラスが割れ、そのかけらが降り注いだ。

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 静かになって体をさすると…

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