記憶なくても語らにゃいけん 胎内被爆者を苦しめた烙印

有料記事戦後75年特集

宮崎園子 東谷晃平
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 生まれた時から被爆者。そんな重い宿命を背負わされた人たちがいる。妊娠中に被爆した母親から生まれた「胎内被爆者」だ。「最も若い被爆者」である彼らも、75歳になる。原爆を知らない。だけど被爆者として語りたい。その思いをまとめた手記集を年内に出版する予定だ。

 6日午前8時15分。広島県廿日市(はつかいち)市の畑口實(みのる)さん(74)は平和記念式典の会場で、会ったことのない父二郎さん(当時31)を思い、静かに目を閉じた。

 二郎さんは勤務先の広島鉄道局(爆心地から1・9キロ)にいた。27歳の母チエノさんは二郎さんを捜して広島市内に入り、遺体を見つけられないまま自宅に帰った。翌春、畑口さんは胎内被爆者として生まれた。

 原爆を強く批判してきた年上の被爆者たちが次々に亡くなり、気づけば「一番若い被爆者」と言われる自分たちも後期高齢者になる。

 焦燥感と、覚悟と――。胎内被爆者の連絡会からの呼びかけに賛同し、この夏、初めて手記を書いた。

 『爆心地から20km以上も離れたところで、しかも原爆が落ちて7カ月以上も経って生まれたのに、どうして被爆者なのか』

 生前のチエノさんに聞いたできごとを記した。

 4日間、二郎さんの帰りを待ち続けたこと。焼け野原で黒こげの懐中時計とバックルを見つけ、近くの骨と一緒に持ち帰ったこと。

 そして、自分自身の記憶をたどった。

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 21歳のとき母に渡された被…

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