第6回さよなら残業 転職3回でたどりついたサバーイな生き方

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 就職先はどこにする? 日本から足を一歩踏み出すと、そこには躍動するアジアの舞台が待っていました。20~30代の6人が、仕事と生活を語ります。連載「アジアで就活」の第6回はタイ編です。

 ヤシの木が揺れるタイの首都バンコクの公園に、テニスボールを打つ音が響く。周りには高層ビルも立っているが、公園の中は緑がいっぱいだ。7月の土曜日の朝。白いスポーツウェアを着た田原友紀子さん(29)が、地元のテニス愛好会の約20人の輪の中にいた。

 田原さんは昨春から、日系化学製品メーカーのバンコク事務所で働いている。担当は車や船を動かす燃料電池部品の営業だ。得意な英語を生かし、ドイツや台湾など世界の企業から注文を取り付けたり、現地工場を案内して品質管理を確認してもらったりしている。

 これまでに3度の転職を経験した。約3年半前に日本からタイに移り住み、今の職に就くまでにはいくつかの曲折があった。

ヒルトンで学んだ、接客の技

 幼いころに父親の仕事の都合で米国に住んだことがあり、自分もいつか海外で仕事をしたいという夢を持っていた。実家のある兵庫県で中学、高校時代を過ごし、関西学院大に進学。ちょうど国際学部が新設された年で、1期生としてアジアの政治や文化、言語を学んだ。世界に出るための武器だと考え、英語を磨き続けた。

 卒業してすぐに海外に出る選択肢もあったが、まずは日本で経験を積もうと考えた。最初の就職先に選んだのは、JR大阪駅前の外資系ホテル「ヒルトン大阪」だった。

 ホテルの仕事は、人と話すことが好きな田原さんの性格にぴったりだった。「毎日新しい人との出会いがある。宗教が違えば、口にできる食べ物も違う。発見があるたびに相手の文化を調べ、知らなかった世界を学ぶことができた」

 最初はルームサービスから始め、2年目はエグゼクティブラウンジの接客係に。3年目には宿泊客のあらゆる要望に即応するコンシェルジュを任された。海外から来る人たちの期待に応えたい一心で、接客の技を先輩から吸収した。

親子旅行が人生の転換点に

 刺激に満ちたホテル勤めの日々に変化をもたらしたのは、休暇で訪ねたタイでの体験だった。2015年9月、母・乃里子さんと初めてタイを旅行した。母に誘われてなんとなく選んだ旅先だったが、特有の和やかな雰囲気に癒やされ、好感を持った。

 バンコクだけでなく日帰りで中部アユタヤの仏教遺跡を訪ね、黄金の仏塔や仏像を見て回った。歩道に並ぶ屋台は活気に満ち、地元の人たちは片言の英語を使って田原さんの言葉に一生懸命耳を傾けてくれた。「タイを旅先に選ぶ日本人が多い理由が分かった気がした。人々は急がず、ゆったりと暮らしていて、自分の性格にも合いそうだと思った」

 現地の料理も堪能した。米粉の麺で作ったタイ風焼きそば「パッタイ」、ひき肉やエビなどを香草と一緒に炒めた「ガパオ」に舌鼓を打った。マンゴーともち米にココナツミルクをかけた定番スイーツ「カオニャオ・マムアン」は特に気に入った。

初めて旅行したタイに魅了された田原さん。その後、どのようにタイでの生活を築いたのでしょう。後半では、田原さんの仕事の探し方や暮らしぶりを、インタビュー動画とともに紹介します。

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 帰国してから、海外のホテル…

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