静かに座る「おこり地蔵」 広島の惨禍を後世に伝える

有料記事戦後75年特集

寺田実穂子
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 「おこり地蔵」と呼ばれるお地蔵さんが、松山城をのぞむ松山市の小高い山の中腹にあるお寺で静かに座っている。75年前の夏、米軍が原爆を投下した広島で被爆したお地蔵さんだ。原爆の惨禍を伝える童話「おこりじぞう」のモデルで、今も訪れる人が手を合わせている。

 1945年8月6日。龍仙院(松山市御幸1丁目)の住職、鳥越千右(ちあき)さん(49)の祖母、西原ミサヲさん(故人)は広島市に住んでいた。原爆投下後、焼け跡を歩いていると、がれきの山に地蔵が埋もれているのを見つけた。そのまま放ってはおけないと、地蔵を胸に抱いて自宅に持ち帰り、玄関先にまつった。

 そうして7体が集まったが、うち1体は顔の部分がなかった。知り合いの石屋に顔を付けてもらい、魂を入れる儀式を済ませると、「怒っているように見える」と言われた。

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 当時、西原さんの近所に住み…

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